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初心者より怖い・・・

資格・免許を持っていらっしゃる方、たくさんいると思います。あらゆるジャンルのあらゆる資格・免許。専門的知識・技能・技術を保証するものであると理解しております。が、一旦取得するとよっぽどのことがない限り半永久的に有効となるものなどに至っては、はなはだ疑問を持つものである。
仕事上、毎日のように車で路上に出る中、「初心者マーク」「高齢者マーク」をつけた車を見ることも少なくない。マークを付けたからってなんだってんだい!甘ったれるんじゃない・・・云々書いた記憶があるが、とにかく「私はまだ運転慣れておりません」「年寄りなので反応が鈍いです」とアピールしていることに関しては、評価したい。外に向けて情報・状況を発信することは大事なことである。チャラけて言わしてもらえば「酔っ払いマーク」「寝不足マーク」
「薬中マーク」「イライラマーク」「下手くそマーク」なんかもあった方がいいかも・・・。

と、横へそれましたが、とにかく人は其々何を考え、何を思い、何をしたいのか何をするのか、見ただけでは分からない。正体不明なのである。そこで名刺が在ったり履歴書が在ったり自己紹介があったり他己?照会があったりと、様々な情報の中でお互いの理解を深めていくのである。とても分かりやすいのが、この資格・免許であるわけで、人物を理解・評価する為の情報の70%以上を占めると言っても過言ではない。が、この判断が誤りの元凶になりうることを忘れてはいけない。

++の資格を持っているから**の免許を持っているからで、信用してはいけないのである。運転免許に関して言えば、例の「ゴールド免許」。過去何年かにおいて(何年でしたかね)事故・違反のないドライバーに交付されるらしい。超・優良ドライバーなんだそうだ。ぶっちゃけ、はやい話が運転しなけりゃいいのである。しなけりゃ事故も違反もない。それが何で優良ドライバーなのか?。免許取ってから、ほとんど車運転したことない、あるいはまったくない・・・という人が、優良ドライバーとして「ゴールド」になる。こういうことが免許・資格の落とし穴なんです。優良ドライバーが初心者より下手くそ!。免許・資格なんてえもんは、取得後にどれだけ経験を積んだかという事が大事なわけで、やりもせんで何ぼのもんじゃー。

調理師なのに包丁にぎらない、音大出たのにピアノに触らない、先生なのに勉強しない、大臣なのに現場を見ない知らない等々、あちらこちらにただの「資格・免許所有」だけの実力のない「まがいもの」が横行しているのである。

資格も免許も常に磨きをかけていないと、すぐに錆びるのである。今一度、自分自身の人間としての在り方の点検をしましょう!

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CEO?

代表取締役・社長そして今はやりのCEO。どれが何だかさっぱりわからん。私は一応「代表取締役」であります。これは商法上において唯一認められている代表者(業務執行の意思を決める人)である、とあります。社長というのは呼称?呼び名?あだ名?。ではCEOとは?chief  exective offiser=最高経営責任者なんだと。経営における責任者であってその会社全体の責任者ではない。全体責任者はあくまでも「代表取締役」なのだ。なんかCEOという響きがかっこいい!これまた日本人の外語病?。意味をよく理解もせず、俺はCEOだっちゃ!。あほか。CEOが何の略だか、先ず言わせてみたら面白い!

それにしても最近の会社の代表者、かっこいい奴がおらんなー・・・。日産の**社長、三菱の++社長とかが、例のゴーン絡みでしょっちゅうTVでコメント求められているけど、その人物像に何らの魅力を感じない。軽い・安い・薄い。ペラペラ感がもろ表に出ていて、それを隠そうともしない。表面的な発言、しどろもどろの見解。会社のイメージダウンを率先しているようだ。N社やM社の輝かしい履歴(私はそう思っていた)に泥を塗りたくっている。おそらく愛社精神などもなく、たまたま代表者になって最低限の役目をはたせばいいんだろう、みたいな意識しかないんだろうな。この局面を何とか巧いこと乗り切って、速いとこ退職金もらってやめちゃおう・・・ってか。

その点、私らみたいな零細企業はそうはいかない。全責任を背負いながら日々奮闘していくのである。スリルがあって面白いよ!生きている実感が毎日あるよ!今年はまた、なんか面白いことが起こりそうだ。ご期待ください!




出来ることを

できないことばかりを言う。・・だからできない、無理―!。めんどくさいこととか自分に不利益な事とかを、なんやかんや理由をつけてやらない。

小学校のPTAの役員の方からの呼び出しがあり、本日出頭して参りました。役員室に2名の選考委員の方がいらっしゃって、その正面に着座。何か取り調べを受けるような雰囲気。そのまんまをお二人にお伝えしたところ、みんなで思わず笑っちゃいました。よしよし、これでいい雰囲気になったかな。
さて、本題は何か。分かっているよ、実は。何らかの役員をやりませんかということでしょ?。5名の役員が必要で4名はほぼ決まりました。ただ、肝心な会長職が決まっておりません、とのことです。はー、多分そんなことでしょな。シーンっとちょっといやな緊張感。職務の内容については複数の方にご理解を頂いたのですが、「檀上でしゃべる」というところで皆様尻込みをされ、未だにお願いできない状態です、とのことです。新年度の挨拶、運動会でのあいさつ、他校との懇親会でのあいさつ等々、年間七~八回の挨拶があります。それがネックになって、引き受けてくれる人がいない。もちろん会長の職務はそれだけではないと思いますが、とにかく檀上は嫌だ!とみなさんおっしゃる。

そうかもしれません。緊張しますよねー。私だって同じです。でもそれが大事な職務だとすれば単純にやればいいことだけで、そこで自分のデメリット感を優先させるからできない!ということになるんです。嫌なこと、苦手なことはやらない。損得で言えば、自分が損するからなんですね。

もう少し考え方を広げて会長職というものが、それもPTAの中の一つの役割だと思えば、特別な感情を持つことはないと考えます。役員は誰かがやらなければならないわけで、基本はやりたい人優先です。それでも人選がうまくいかないときは、推薦とか打診とかで選出、捻出?する。私が今回引き受けようと思ったのは、自分に出来る事だったからなのかもしれません。そういう年齢になったからなのかもしれません。できない=能力がないことで迷惑をかける、ということはやらない。何とか頑張ってやれそうだ=少しでもお役にたてそうだ、と思うことはやる。

自分の人生の中、小学校に関われるのはこれが最後です。残り2年間ですが、思いっきり関わっていこうと思いを新たに致しました。人生そうは長くない。おそらくチャンスという物はそう何回も訪れるものではなく、巡り合ったその時がそれこそチャンスなのだと思います。まだまだ先の長い時間をお持ちの方にはそう思えないことでしょうが、この齢になり分かったことがそういうことです。出来ること、出来そうなことはやってみよう!

続・じじい放談

日本人、大好きな「思う」という表現からちょっと離れよう。思うのではなく「考える」でなくては間に合わない。Thinkという英語。意味は「考える」である。もちろん「思う」という意味合いもある。だがほとんどの外人(どこの人達よ?)がこのThinkという言葉を使うときは「思う」ではなく「考える」という意味で使っている。自分の意見として述べる、主張しているのである。

思うなんていう甘っちょろい表現は横に置いておいて、今年は「考える」で主張しましょうと、私はそう「思う」・・・じゃない、そう「考える」!

丸く収める

穏便に丸く収めるのが大好きな日本人。波風を立てないように、ひっそりと、しめやかに、控えめに、厳かに・・・・などとにかく「静」を好むのである。穏やかで争いを避け、紳士的。象徴的なのが現・平成天皇のお言葉にしばし現れる。それを批判するつもりはないが、それでことが済めば世話はない。

・・だ!ではなく、・・だと思います・・・という表現のなんと多いことか。アンケートを取ると「そう思う」「そう思わない」そして「どちらともいえない」の三つの意見。どちらともいえないが一番多かったりする。それって意見なのか?ものすごく悪い言い方をすれば、単に曖昧なのであるb。はっきりとものを言うのが怖い。嫌われたくない。この「・・・と思う」という言い方からして腹が立つ。

世界情勢が刻一刻と変化していく中、その「曖昧さ」はもはや通用しない。丸く収めたいのならその前にすることがある。本音を全てさらけ出すことである。その上で、歩み寄り妥協も交えて「丸く収める」のである。本音を言わない日本人。いつまでそんな態度が通用するのだろうか?

猪年がスタートした。猛進を進めるわけではないが、少なくとも意見だけは猛進してもいいのではないか。言いたいことを言わないからとんでもない立ち位置に追いやられているのである。それでも、まだいうか?「・・・と思います」と!

専門家とは

世の中によくぞこれだけ多くの専門家がいるもんだ。専門家らしき者と言った方がいいのかもしれない。相当な知識、経験を持ち研鑽を積んだ人を専門家というのかと思っていた。最近の専門家?の皆さんは、例えばいわゆる専門学校を出ましたとか、どこそこの専門機関でちよっと働いてましたみたいなことくらいで自称「専門家」を公言する。言ってることが上っ面で、突っ込まれると休止する。そうなっってしまっても恥じることもなく開き直る。そうなってくると、これは誰でも彼でも専門家になってしまうわけで、信ぴょう性が疑われ、最も大事な信頼感がなくなる。今の国会議員先生?ですか、いわゆる**大臣がそろいもそろってその代表選手となっている。専門外の役割を押し付けられ気の毒とは思いますが、とんでもない答弁を繰り出し押し通す。これは要である首相の無責任、無能力以外の何物でもない。

TVを拝見していると、何かにつけこの専門家?らしき人が必ずや出現し、もっともらしいコメントをのたまう。聞いたこともないような大学の准教授だとか++研究所の所長だとか++総研主任コメンテイタ―とか、何もんじゃお前ら!えっらそうにー!本当に分かってものを言ってんのか!

何でもすぐわかる、すぐできるネット社会のひずみ。勘違いの世の中、みんな自分が天才になったような気でいる。なんでも知ってるしー何でもできるしー・・・。それこそ「自称専門家」ばかりである。自分基準の自己満足型の集団。そのくせ相手を認めたり尊敬したりすることをしない。人間関係がどんどん表面的希薄の状況になっていく。最終的に信じられるものがつまりは、AIになってしまうのだ。コンピューターしか信じない、友達はパソコンだけ。
本当にそんな時代になってしまった感が強い。

肉じゃがを作ってみましたー!スマホが全部教えてくれたんですー!。いただいてみました。「・・・・・」。ジャガイモ、やたら歯ごたえがあって、懐かしい母の味はしませんでした。いいんです。それでいいんです。形は実に見事にできていましたから。ご本人も満足顔。今度は何作ってあげましょうか―?いいえ、もう結構です・・・



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