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「一瞬」に真実あり

新聞、週刊誌などを見ておりますと、いろんな方の写真が載っております。写真ですから、当然「一瞬」をとらえたものでありますが、そこに真実があるのでございます。動いておりますものは、刻々と状況が変化していくものですから、立ち止まることもできずじっくり観察することもできない。日常、そのほとんどがこの動いている世界であるわけで、その動きの中での判断となるわけです。動きの中での判断には、誤解や錯覚が多く発生しているはずです。その点静止画像である写真は、見逃しがちなその人の「真実」をとらえる。怖いです。汚い心など本心・本音が露呈してしまうので、怖いですねー。

それにしても、週刊誌などに掲載されているその「一瞬」の写真は、アッパレ!です。撮影したカメラマンさんブラボー!と拍手を送りたくなる。実にその人の、醜い裏の部分を映し出しています。カメラはウソつかない!

人と対面してお話をすることが多いのですが、「眼を見てお話をしなさい」と小さいころからよく言われてきました。あまり見つめるとお互いにつらくなるので、もちろん時々そらします。相手「のど仏」あたりに視線を持っていくと、楽にお話ができ相手にも失礼にならないとか・・・。

相手の左目(ご本人にとっては右目)はその人の「建前」で、右目は「本音」ということらしいです。確かに左右の「眼」の状態は大きさとか角度とか違いますよね。対面でお話しするときにお役立てください!

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サギとウソの世の中

騒然としている、「もりとも・かけい」事件を「もりかけ」とはよくいったもんだ。最近世の中にはやる生きものは、サギとウソであります。
サギとは鶴ににてそれより背の低い頭に冠のような毛がある鳥類。ウソ(かわうそ)とはイタチに似て黒く水に潜って魚を取る動物。どちらも人に害を加えることなく、サギなどは美しく、ウソなどはカワイらしくもある。
そんな彼らに大変失礼ながら、語呂がいいので使わせて頂いた。もちろんサギは「詐欺師」であって、ウソは「嘘つき」である。そんな輩ばかりが大手を振って闊歩する現代社会。嘘をついたり人をだましてはいけません!と、何べん怒られたことでしょう。人として絶対にしてはいけないこの二つのお約束事!みんな忘れっちゃったんだよねー。もはや人間じゃないあいつら!

いい年こいたおっさんたち、おばさんたち!どのツラ下げて子どもたちの前に出られますか?大人を見て子供は成長する。子供たちはみんなあんたがたの本質を見抜いていますよ!恥を知れ―!ったって、その分厚い面の皮と何も感じないその愚鈍な神経では無理ですなー!

キレイなお洋服着て、かっこいい車に乗っかって、えらそうな口きいて、ふんぞり返って、見下して・・・あんたは別格何ですか?まさに「あんたが法律」。なんで国会議員が都知事が、黒塗りの高級車なんかのお出迎えがあるのか?あんたらの何が偉いのか?じぶんを何様だと思っているのか?この税金泥棒が!

結局日本って又、例のなあなまあまあで終わってしまうんですよね!野党も根性ないし、政治の世界もやはり「出来レース」なのか・・・反対も批判も結局パフォーマンスなのかもしれない。バカを見るのは結局国民。その中でもいわゆる「平民」がバカを見る。

極め付け!お前ら、どんなパンツ履いているのか、見せてみろ!エロイか汚いかどちらかに違いない!・・・相当、ひがんで興奮しておりまっす、私・・・

立ち位置とか居場所とか

新生活があちこちでスタートしたことと思います。環境や関わる人達が変わったりして、何とも落ち着かない真っ最中であろうと思います。戸惑いがあって、もちろんワクワク感もあるわけで、不安と期待がごちゃ混ぜみたいな感じなんでしょうか?
この年になってなんかそういったことから縁遠くなったなー。残念な感じ。昨日、息子の授業参観があって教室をのぞいてみました。速いもので4年生。この間3年生になったばかりだったのに・・・。3年担任の先生のお名前も漸くスムースに出てきたのに、新しい先生のお名前は・・・。浮足立って、校内も雑然とした賑わい。子供たちも何となく腰が落ち着かない様子。
後1月もすれば、整然として滞りなく時間が流れていくのでしょう。それぞれの立ち位置とか居場所がそれなりに決まっていくのだと思います。座席の位置、クラスノ中での役目、友達関係、先生との距離なんかですかね・・・。更には下級生や上級生との関係なんかも複雑に絡み合ってくるのでしょう。小学校の中では「中堅」ということで、苦労・心労が多くなるのでしょう。

今までは先生が中心、扇の要となって事が進んでいた、いわば管理されていた状態であった事が、これからは先生が「アドバイザー」的存在となり、それぞれに子供たちが自分の役割を自覚し自主的に進行させていくことになる。その場合、自分の立ち位置が分からない、あるいは作れないでいるといわゆる居場所がなくなっていく。流されたり妥協したりと、結果浮いた状態になってしまう。

そういったことは、もちろん子どもたちの世界に限ったことではなく、大学出て就職した職場の中でも当然起こりうることで、ありとあらゆるシチュエイションの中で、つまり人がいれば必ず直面する事なのである。人生はこの繰り返しで、大変だなー!

私、この「立ち位置が」いつもうまく見つけられbない人で、あるいは誰かに先を越されて失ってしまったりする人で、したがっていつも「居場所」がなくなっちゃうんです。するといたたまれなくなって、スーッと一人になる。何か「逃げ」の人生みたいに思われるかもしれませんが、案外この「ひとりワールド」というのも悪くない。世の中との接点を否定しているわけではないので、それなりに生きていけるもんです。なので、むきになって立ち位置とか確保しなくてもいいような気がします。

自分を愛していれば大丈夫!

線引き=ボーダーラインというとかっこいい?

何でもかんでも「線引き」する世の中。ここからこっちはOK、ここからあっちはNG。人間の価値なるものをそのようにして簡単に分ける。タワーマンションにお住いの方、何階から上と何階から下では・・・とかやってますよね。私立は勝ち、公立は負け。大都市は勝ち、地方は負け。年収いくらは勝ち、それ以下は負け。ブランド物は勝ち、無印は負け。
「一等は勝ちでビリは負け」というあの運動会精神がそのまま世の中のあらゆることに影響を与えている。足の速い子もいれば、当然のろい子もいる。一斉に走らせて優劣を決めつける。何か、ルーツはこのへんからか。いやもっとさかのぼって、赤ちゃんが生まれて何か月でハイハイしたとか、立ったとか歩いたとか、そんなことを親たちが競い合っていたような気がする。すでにそのころから、競争が始まり優劣の区分けが行われ、線引きとなる。

どうやらこの世は優劣をつけることが大事なことで、優者は幸福であり劣者は不幸であると決めつけたいようである。優れていることはいいことであるに違いないが、劣っていることは決して悪いことにはならない。その辺の解釈を間違えると救いようのない世の中へ突き進むことになる。いや実際突き進んでいるのかもしれない。

みんな違ってそれでいい・・・でしたっけ。ちょっと前にはやった言葉。もう一度振り返って「みんな違ってそれでいい」。新しいスタートを切った子供も大人も、「みんな違ってそれでいい」。


みんながそう思っている?

毎日毎日、いろんなNEWSが飛び込んできますが、私パソコンで最新ニュース見ます。表題(っていうんだっけ?)が強烈なインパクトのあるものが多く、最もインパクトないと、誰も読まんわなー。誰でもそう思う、そう思うに違いない、絶対そう思っているというような書き方!。そう思ってなくても、そう思ってしまう。そしてすっかりその気になってしまう。
いまさら何言ってんの・・・と言われそうだが、昔(でたー!いつのことだよ!)は、もちょっと客観的表現であったように思う。公平感というか、押し付けがましくない表現。それがそうじゃなくなって、「えーっ、そう思わないの?そうじゃないの?それって変でしょ!」と、追いつめられていく。苦しくなって、思わず「そうです」ということになっちゃう。迷うとか選択の余地がない。

言いだしっぺが勝ち!言いきったら勝ち!何でもかんでも押し通したら勝ち!ですね。これって、「主張する」ことと「言い張る」こととの違いみたいなもんで、なんか女性にありがちな感じ。(また女性から非難、あびそう・・・)。言葉って、二面性があるんだけど、その悪い方が相当でしゃばってんなー、そっちが正当化されてんなーと強く感じます。

一人の意見はみんなの意見を代表しているものではない。暗示にかかり、丸め込まれないように気を付けよう!。「詐欺」被害がなくならないのも、その辺にあるように思えます。自分の意見を大切に!

guilty or not guilty

という有名な言葉がありますが、有罪か無罪かということで、白か黒か、右か左か、イエスかノーかであります。ヨーロッパ・アメリカなどは、この辺が非常にはっきりしているように思えます。そうでないと生きていけない環境なのだからだと思います。アンケートや街の声などを見ておりますと、はい、いいえ、そしてどちらともという回答があり、この「どちらとも」というのが圧倒的に多い日本人。
イヤー、そうはいっても・・・とかマーそういうことも・・・とか、ウーンそれほどでも・・・とかが多い。いいんじゃないですかー・・・いいと思いますけどー・・・なんて―のも得意中の得意。

農耕民族である、あった故、周りとともかく協調しないと生きていけなかった民族。そんな背景、DNAは分からないでもないけど、あまりにもいろいろな事があいまい過ぎる。曖昧にしてうやむやにしてしまう。三流のマジックを見せられているような不快感。アー、またですか・・・。ネタはばれてますよ、すっかり見えてますよ!と言っても、本人だけがそのまんま、知らないふりをして・・・ごり押しです。そして、「どうだー」と言わんばかりのしたり顔で、なんと図々しいことに拍手まで要求する。

貴乃・・・親方、佐・・・国税庁長官、安・・・総理大臣をはじめ、様々な有名な方たちがこの「ごり押し」です。早い話が、三流なんです、あんたたち!
一流なのはその「肩書き」だけです。ブランドものひけらかして、一流気取りのアホねえちゃんとおんなじだなー。日本の未来、いや明日が危ない!

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