旧・音気楽ブログ

神は存在するのか?

痛ましい痛ましい本当に痛ましい、子供虐待事件。相当かわいい素直そうな優しそうな純粋そうな天使のような笑顔の5歳の女の子が、最悪の父親と最低の母親の仕打ちで衰弱死したと報じられた。その子の写真とひらがなでつずられた日記・・・。涙なくして見ることはできない。ただただ怒りがこみ上げる。その鬼畜にも劣る親(親なんて呼びたくない)を引きずり出し、ぐちゃぐちゃにしてやりたい。どんな罰を与えても足りない。

保護員だかなんか知らんが、訪ねて行ったときにその鬼畜以下野郎に「関わらないでほしい」と言われて、すごすご帰ってきた、ということらしい。その時何らかの手を打っておけば、女の子の命は救われた。鬼畜以下野郎が悪いのは当然だが、すごすご帰ってくるしかなかった奴は悪くないのか・・・。アメリカでは虐待の通報があると、警察官が強制的にその家に突入し、子どもを保護。有無を言わさず親を逮捕、となるのだが、それには賛否両論があり、やれやり過ぎだとかその親の人権の侵害だとかもっともらしい意見が出るのも想定内。が、先ずは弱い立場にある子供の保護が優先されるべきである。能天気な日本人のようにあーだのこーだの議論している間に、子供の命は失われていく。そして「アー、あの時こうしてればよかったんですよねー・・・」と、こうなる。早い話が自分が悪者になりたくない、責任を取りたくない心理が働くから、便宜的な事しかできないのである、日本人は。私もそうかもしれない・・・と言っておかないとあんたらの気が済まないんだよね!

毎日のように報じられる虐待のニュース。相変わらずの後手に回った対応。明日もあさってもそれは続いていく。鬼畜以下野郎について述べ始めるときりがないので今日は言わないけど、「神」は本当に存在するのか?なぜ、子供たちが救われないのか?神も忙しいのか面倒くさいのか・・・。

虐待は社会のひずみの現れである。いじめにしてしかり、世の中の「悪」は全てひずみから生まれる。これが欲に支配された人間の醜い姿であって、今後その傾向が急速に高まっていくことは間違いない。だとするともう救いようがないわけで、人類はそれこそどこへ向かって進んでいこうとしているのか・・・。

もっとひどい犯罪が世界的に起こっている。悪のランキングからすると虐待なんかたいしたことない!なんていう声が聞こえてきそうだ。いやしかし「子育て」は人間の、生き物の原点ではないのだろうか?子孫が反映しなければ地球の未来はない。男と女を造り出したのは「神」であるとすると、その在り方について責任を持ってもらいたい。神よ!ボーっとしてんじゃないよ!目ん玉おっぴらいて現実をしっかり見よ!逃げるんじゃねーぞー!