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その日暮らし

子供(まー10歳くらいまでかな)と大人の違い。子供はその日暮らしなんですねー。
その生活ぶりを観察・分析してみますと、食う・寝る・遊ぶじゃないけれど、朝起きて、食うて、出かけて(幼稚園・学校など)、帰って、遊んで、食うて、風呂入って、テレビ見て、ゲームやって寝てまた起きて・・・・。その世界には過去も未来もない。現在があるだけ。そのスケジュールも自分で決めたわけではなく、あるいは決められるわけではなく、必然の中でやっている。そしてそうなっていることに疑問を持たない。実は、一日が分刻みでびっしりと埋まっている。それを毎日平然とこなしていくわけだから、すごいエナジーです。凄い精神力です。

そういう流れに疑問を持ち始めることが「大人」への一歩?のようです。それがいいのか悪いのはよく分かりませんが、過去を振り返り明日、未来の事を考える計画することが「大人」なんでしょうねー。中にはそういうこととは全く無縁で大人をやっている方もいらっしゃる。怖いようなうらやましいような・・・

最近のわたしの生き方の傾向が、どんどんそうなってきているような感じ。昔「俺たちに明日はない」という映画がありましたけど、それとはちょっと違いますよね?いや全然違う!「俺たちに明日はあるのか?」という題名がふさわしいかも・・・。そういうことが心配な年齢になりました・・・・。

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こんなところにも個性が

月に一回ですが新宿へ行きます。都庁のあたりは道路がやたら交差していて、普通に走っていても知らんうちに地下になったり2階になったり・・・。その地下みたいなところに例の「青テント」が軒を連ねているところがある。道路を挟んでおよそ20軒。其々が実に個性的。骨組みからして相当しっかりできているものもあり、ちょっとやそっとでは壊れそうもない。シートがきちんと張り巡らせれており、玄関らしきものもあり履物がそろえて置いてあったりする。周囲もしっかり整理されており、隣接して小さな物置。なべ・やかん・コップなどが整然と並んでいる。かと思えば、ただ雑然と段ボールが積み重なってその上に骨の折れたビニール傘が乗っかっているだけ、なんて―のもある。どこから入ってどうやって寝ているもんだか想像がつかない。生前?の社会生活の感性がこんなところにもちゃんと出るんですねー。

基本は一人暮らしで、干渉しないというのが原則のような感じがします。が、飯時など車座になって宴会のようになっている光景を目にしたこともあります。結構食べ物、飲み物も潤沢で、あーこれが「都会」のテント暮らしだからなんだなー。

オリンピックを目前に控え町中の整備・整理がどんどん進んでいく。間もなく彼らの「住居」も撤去される運命にあるわけで、果たしてどこへ移り住んでいくのだろう・・・・・

縦文化と横文化

毎日のように車に乗っています。それが偉いわけではないが一応外車です。外車で恐らく一番安いランクの物で、でも燃費は良いし俊敏に反応してくれるし、小さい割にはたくさん積めるし(なんせコントラバスが入っちゃうんですから)。1200CCでほんとに小さい。料金所のおじさんに「軽」とまちがわれた事もあった・・・。
で、なんでそれを選んだのかというとやはり「デザイン」です。かわいくてかっこいい。国産となんか違う。「顔」にホント、表情がある。おはよう、とかよろしく、とか言葉をかけたくなる。野ってみっればまたまたエンジンと会話ができる。
そのデザインなんですけど、外車ってやっぱなんか違うんです。それって単なる「欲目」じゃないの?かぶれてるだけじゃないの?という声が聞こえてくる。

性能も外見も国産車は飛躍的に良くなって、自国の車を差し置いて、外国人が好むようにまでなった。確かに素晴らしいんです。内装や装備なんかは、メイドインJAPANが一番かも・・・。それでいて、デザインがやっぱ違うんです。外車の方がかっこいい!ことは私の場合否定できない。遠くから見て(特に後ろ)どこの車か分からないほど車種も増え、先ほど申し上げた通り国産も素敵な仕上がりになっておりますので、相当よく見ないと外車なのか国産なのか判別が難しい。社名やメーカー(マーク)を見ればそれはそれ、すぐわかるんですけど、その前にそのフォルムから何かを感じる。そしてこれは外車だな、これは国産だよなーっとおおよそ分かってしまう。何でか?

デザインの流れです。縦流れが国産、横流れが外車。どういうことかというと、物事を縦方向に見て暮らしているのか、横方向に見て暮らしているのかの違いなんです。そもそも、日本語の文字は縦並びで外国語は横並びですよね。日常生活がやはり日本は「縦」なんです。従ってデザインも「縦」傾向になる。別な言い方をすると、上下文化と左右文化の違い。

車は横に動くものでありますので、やはり横・左右にもとずいたデザインが合うんです。国産のデザインは、縦・上下に見てみると美しいんです。そういうことを大事にしていきたい。何でもかんでも横文化にしなくても・・・

ドン・キホーテ型人生

先日、同期会なるものに出席いたしました。中学卒業後50周年ということで、年齢は皆66歳。男17名、女11名というけっこうな人数の参加がありました。(ちなみに学年2クラスしかない学校でしたので、総勢80人くらいの30人ですから、しかも札幌の学校でしたので、東京での参加率は相当高かったわけです。すぐわかった人もいれば全然わからない人もいた。すぐわかる人は容貌、当時とほとんど変わっておらず驚くばかりで、逆に大変な変貌を遂げてしまった人もこれまたびっくりです。50年=半世紀ですから無理もないわけで・・・。私はというと後者の方で、その代表みたいな感じでした。幹事挨拶・乾杯・歓談と時は流れ、お決まりの各人現況報告タイム!
男性は、ほぼ自分の職歴。なになに会社の部長までいったとか、退職後どこそこへ引き抜かれたとか、引退後は悠々自適だとか・・・。女性は結婚がどうしたどこそこへ転居しただとか、あるいは主人が亡くなってどうしたこうした・・・。そもそもエリートが集まる名門中学でしたから、不幸な人生になってしまった人はほとんどいない。医者やら会社経営やらおえらい役人などが圧倒的。女性もそこそこの器量よし?(服装等おしゃれで高級感ある)で、上流意識顔の人が多い。実際はほんとかどうか知らねえけど・・・。
そんな中で、やはり「浮いている」感がぬぐえない私。エリート意識からは程遠く、あるいは自分には縁のない世界として壁を造り生きてきた50年。皆さんそれなりの「鎧」「兜」を身にまとい、纏うことが人生には必要不可欠であることを知っている人達であって、それらを得るための努力をしそれらに守られて生きてきた人達なんだなー。
私はというと、一切そういう物を否定しながら生きてきた(よく生きてこれたもんだ)。「人の世話にはならん、同じことはしたくねえ」と世に反目しながら、それでいて地道な努力もせず、それってただ突っ張って生きてただけじゃない?・・・という殆どが自画自賛・自己満足を絵にかいたような人生を送ってきたわけである。
だから、そういう集団の中に居ると違和感あるわなー。結局、男連中からは敬遠される存在となる。逆に女性は面白がって寄ってくる。不完全なものをまとい、作戦も計画も目標も誤り、風車に突っ込んで自爆する、まさに「ドン・キホーテ」を地で行っちゃっているわけですよ。少しは利口になったかというと全く反省も学習能力もなく、同じ穴に何回でも落ちる。そういう男です。

楽しきかなこの人生!(周りは大変だー・・・)

まったく人の心というものは

台風13号が関東直撃!というニュースばかりの昨日のTV。イヤー久しぶりに本格的に直撃かー・・・。看板やらのぼりやら飛びやすいものやらを、雨がひどくならないうちにしまい込む。空を見上げると、灰色と黒い雲が混ざり合ったような不穏な状況。今夜あたり相当だよなーとかつぶやいて、荒れ狂うさまを想像する。不謹慎な期待感。
はたして眠くなる時間までにはさしたる変化もなく、なんとなく雨脚が強くなったように無理やり思い込んで布団に入る。寝る前の読書で5分もたたないうちに睡魔に襲われる。そのまんま翌朝を迎え、外の静けさに気が抜ける思いでカーテンを開く。どんよりとはしている物の、雨もほとんど見えず空の端っこには明るい兆しさえ見て取れる。「アーっ、何だー。結局こんな感じか―・・・」と、ほんと不謹慎ですが、がっかり。最初に頭に浮かんだのが、昨夜仕舞い込んだ看板やのぼり。せっかくしまったのになー・・・・。成り行きでまずTVをつける。はたしてニュースは被害のあった状況を伝えている。どこだ、今か?ウーム。ここは全く影響ないなー。なーんだ。こらこら、なーんだじゃないだろ!全く人間の、いや私の心というものはー・・・です。ごめんなさい。

純粋であること

純粋にピュアであることが最大の強み。生き方にいろいろあれど、この「純」という生き方に勝るものなし。作為的に「純」を装うこともできるかもしれませんが、長続きしません。ばれますし本人も疲れます。例えば赤ちゃん。何も考えておりません。感じたそのままをそのまま表現する。全て受け止めてもらえます。もしもあの赤ちゃんの泣き声が作為的だとしたら・・・。ぞっとしますよね。「天才」と呼ばれる人達もある一芸にすこぶる秀でているため、他の事には目をつぶってもらえる、許容してもらえる、そして支えてもらえる。
今、まっさかりの高校野球。これも「純」の代表的存在であります。とにかく全ての青春のエネルギーを野球につぎ込む。グランドに立つことだけにかける。このくそ暑い中汗まみれ、泥まみれになってグランドを駆け回る。勝っても涙、負けても涙。3年間の人生のほとんどを野球にかける。これもまさに「純」であります。どの試合にもドラマがあり、どこのチームも応援したくなるのは彼らが「純」であるからであります。(実態はそんなことだけじゃない。高校生たちが裏で何やってるのか知ってんのかー?といううがった意見はとりあえずおいておいてください。)
身近にもこの「純」な人がおります。裏も表もない。ひたすら自分の道を突き進む。そういう人は自然に応援したくなる。彼らは「我がまま」なんです。勘違いしないでもらいたいのは「わが儘」とは違うということです。前者は我がのところにアクセントがあって、後者は儘のところにアクセントがあるんです。声に出していって見て下さい。
出来ることならば私も「純」になりたい。でもそれは恐らく無理なんだと思います。なぜなら不純な欲求が多すぎるからです。せめて「純」な人を応援しましょ!支えてあげられたら幸せです。


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