旧・音気楽ブログ

親の因果が・・・

成人した?大人?が引き起こす事件。特に最近際立つのが「殺人」であります。その方法も陰湿陰惨なものが多く、ゆがんだ人間性が犯罪の形にそのまま表れるようです。車の中やアパートの一室、倉庫、山中などもちろん他人に見られることのない場所で行われるわけですが、今や「隣は何をする人ぞ」の世の中ですから、えーっこんなところで・・・というような場所で平然と犯罪が行われていく。方法もおよそ人間の仕業とは思えないような残酷極まりないやり方。

もちろん事件ですから、犯したヤツが追及され罰せられる。顔写真も出て(中には中学時代の写真なんかが出たりしてビックリ)。ある程度の履歴も報道されたりする。そうすると、恵まれない境遇であった過去などもくろーずあっぷされたりして、あーこんなだからこうなっちゃったんだろうなー、みたいなことが分かるわけです。虐待されて育ったとか、いじめにあってきたとかそういう過去を引きずって、結果こんなことをしでかした・・・・となるわけです。皆がみんなそうだと言ってるわけではない。

過去に何かなければ、人間、そうそう「悪」にはならない。何等かの愛があれば踏みとどまることができる。劣悪な犯罪を犯すやつには、大人になるまでに恐らくこの「愛」を感じるチャンスがなかったのであろう。そうすると、それは誰のせいなのか?ズバリ、「親」のせいである。親ったって、じゃあ親のいない子はどうなるんだよー!と言いたいあんた。親というのは何も「産みの親」だけのことを言っているのではない。そういう親がいなくたって、育ての親というのがいる。そういうのがいなくたって周りにたくさん大人はいるはずだ。そこまで含めての「親」ということである。

「悪いことは他人事」時代の極みである現代社会。自分の事ばかりで、人の事なんかに構ってらんねーですよね。大そうな偉そうなことを言わせてもらえば、子育ては社会がするもんだ。その社会を育て健全なものしていくのが我々大人の使命だ。というわけで、犯罪人を生み出してしまうことは我々大人の責任であるともいえる。

犯罪を犯した当事者だけを責め罰するのではなく、そういった者を生み出してしまった「親」がもっと責められるべきである。ましてや犯罪者が未成年であった場合などは、連帯責任者として、その「親」が罰せられるべきである。それを学校のせいにしたり、世の中のせいにしたり、私はb知らないなどと、とんでもない親があまりにも多い。あんたらにこの言葉を贈ろう。「親の因果が子に報い」なんだよ!