旧・音気楽ブログ

おと・音・オト

今からあなたの世界から「音」が消えてしまったらどうでしょう。無音、宇宙がそうなんでしょうね。耳鼻科の聴力検査室に入ったことがおありかと思いますが、妙な圧迫感があって、それが不安になり恐怖になる。とてもじゃないけど長時間は無理。
日常、特に現代社会は「音」に満ち溢れており、もしもそれらがなくなったときは、かなり戸惑うに違いない。「音」とはいっても自然が織りなす音と人工的に造られた音とはもちろん区別が必要で、人工音に邪魔されて自然の音に触れるチャンスがどんどん少なくなっている。都会で暮らしている人はもしかしたら自然音に触れることもないのかもしれない。生まれた時からすべての取り巻きが人工音だったりするのかもしれない。
音楽の世界もアコースティックからデジタルへ移行しているし、そんな中で育っていくと逆にアコースティックサウンドに違和感を感じたりして・・・。

五感に関する現象が、全てそうなりつつある。聴覚を始め味覚も臭覚も視覚も触覚も全てがデジタルの世界に突入している。感性なるものをデジタル化した段階で、もうすでに感性とは言えないのかもしれない。

一人になった部屋で、TVを消した。他に音源があるとすればそれらも全て消した。もちろん完全な無音状態ではないが、やがて「シーン」という音が聞こえてきた。最初ちょっとさみしい。やがて不安。やけに視覚が忙しく働き始める。耐え切れずにTVをつける。やはり無音は恐怖なのか。付けたTVを消音にする。ドラマが展開していく。映像だけが次々と流れ、しかし感動が伝わらない。消音を解除する。音響のなせる業を思い知らされる。映像に対して音響は調味料であるのか。なければ味気のない料理と同じなのか。だとすれば適正な味付けが望ましいのであって、必要以上のあるいはミスマッチのあるいは過剰な味付けでは台無しになる。そのくらい音響は大事な存在であるわけで、がしかしあまりにも無しつけな音響が多すぎるような気がする。

たまには「無音」の世界に身を置いて感性をニュートラルにしないと、せっかくの映像が過剰な音響に破壊されかねない。無音体験をしましょう。