旧・音気楽ブログ

免許と資格

「免許」ときいてまず思い浮かぶのは「運転免許」ですかね。これには更新という制度があり、3年に一回、試験場でいろいろな検査を受け、条件を満たせば合格となり更新できる。なぜそのようなことが必要なのか?。運転は人がやることで、重大な過失につながる、一歩間違えれば人命に関わることになるからで、その能力をチェックするのである。視力が落ちた、身体的欠陥が生じた、判断力が落ちたなど、危険を伴う運転という作業に不適合が生じた場合にその資格を見直すのである。事前に事故を防止する、人命を守るためには不可欠な作業である。と、いうことは、一旦取得すれば永遠にその免許が効力を持つものではないということである。従って、運転免許に関しては、それを持つ人の様々な変化に応じて対応が変わるのであって、まさに正解である。教員免許なども更新があると聞いた事がある。医師免許とか調理師免許などはどうなっているのだろう。

そもそも人間なるもの、常に一定の精神力・体力・能力などを維持していけるわけではなく、殆どがある年齢を境に右肩下がりとなっていくものである。あるいは社会生活の中で当然変化をきたし、ゆがんだりもするのである。ハッキリと更新の制度があるものは良いのだが、仮にその関門がない免許なるものがあるとすると、それは大きな問題である。

対して「資格」はどうか。免許に対しては、漠然とした大まかな感じがぬぐえない。公に認められたものもあれば、会長としての・・、とか親の・・とか、受験・・とか地位や身分を手に入れるための条件ということでもある。後者でいうところの「親」の資格。その資格に適合する条件とはどんなことなのか。
毎日のように虐待報道が新聞に載る。(おそらくは「載らない」事の方がはるかに多いのだろと思われるが。)およそ常識(もはや死語)では考えられないような陰湿・陰惨な虐待が秘密裏に行われている。人間として最低限の感性を持ち合わせない輩が犯す犯罪。そういった輩が子供を生み虐待する。虐待するために子を生むのか?と言いたくなる。ある年齢になれば親になることができる。誰もがその資格を持っているともいえる。では、その親の資格なるものとは一体何なのであろうか。それを審査するものがあるのだろうか。

資格という曖昧な定義によって大事なことがごまかされていやしまいか。資格には免許のような「更新」という関門がない。一旦取得してしまえば、ほぼチェックされることもなく周りが何となく認めていくもので、官公庁が認めなければ取得・継続することができない免許とは違うのである。

子は親を選べない。あまりにも悲惨な子供への虐待。それを防ぐには親になるための免許制度しかない。一定の基準をクリアできない人間は親になってはいけない。そしてこの免許にも必ず「更新」が必要なのである。今できることは、私も含めてすべての親が自分自身で「更新」をしてみるべきである。