音気楽ブログ

セオリー壊し

セオリーとは、学理・学説という意味だと思っていたし、そのように使っていた。なんだか最近そのセオリー崩し?が流行っていて、しかるべき順番を飛び越えあるいは無視することにより、新説を唱える専門家が増えているような気がする。例えば、修行はいらないとか前準備は不要とかこうすれば簡単にできるでしょとか・・・・。そのように唱えることで賛同者・感動者が続々増えて圧倒的な支持を得ているようである。
セオリーとは長い年月と膨大な手間をかけて生み出され確立されたものであるのに、あまりにもやり方が短絡的であり乱暴すぎるふるまい発言が多い。人を誉め認めることをしないで、批判コケ下すことばかりに熱中する。そのような行為は大変簡単にできることであって、そのような振る舞いや言動は人に強いインパクトを与える。人々を傾かせ、なびかせることが容易にできるのである。
そのような状況に酔いしれている愚かな発言者のなんと多いことか・・・。これが現代社会の大きな特徴であり、このような風潮が高まれば世の中は崩壊の一途をたどるしかないのである。親の言うことを聞かない無視する子供ばかりとなる。先人・先輩・先生・先駆・先見・先達など先だって前もってという意味で尊敬の解釈をされてきたものがすべて否定され、意味をなさなくなるのである。先祖などという存在も、もはや恐ろしく粗末に扱われ、墓がしまわれてしまったり仏壇が消えてしまったりが当たり前になってきている。過去を振り返ることもなく、前進あるのみ。人類は確かに「破滅」に向かって突き進んでいるのである。