音気楽ブログ

当たり前・・・・の続き

当たり前に「である」こともあたり前に「でない」ことも、当たり前なのである。そう思えばなんてえことはないのである。世の中の動きや流れはすべてこの「である」ことが前提のなってしまったようで、いつからそうなった?パソコンと原子力が登場してきてからだと思われる。いや、もっとさかのぼれば電気・電力が登場してからのことかな・・・。
目に見えない力・働き。それが電気・電力である。(あのさ、電気は光ってんだから見えるんじゃんとか次元の低いことで突っ込むなよ)まさにスウィッチス一つで簡単に手に入る便利物で、努力とか工夫とかとは無縁のものである。すべてが指先の操作だけでとんでもないものが簡単に手に入る。本来なら到底得ることのできないような難解なものが、何の努力もなく手に入る。自分の実力だと錯覚する。したがって実力以上のことを考えたりしでかしたりするのである。
摩擦で火を起こしていた時代に、人間は自分をよく理解していたし、自然界のルールを破壊することはしなかった。何も原始時代に戻ろうといっているのではない。まずそれは不可能なことだし、その必要もないのだろうし。だが、このままいい気になっていると行き着く先は破滅であることは間違いない。3歩進んで2歩下がる。なんてすばらしい言葉。前進することはよいことだが、ちょっと下がって観察する、反省することが大事なのである。今や人々は突っ走っていくのみである。そんな状態で物事がきちんと見えることもないし、考える時間もないのである。
当たり前とは何なのか、どうしたら当たり前が当たり前でいられるのか、世界人類にとっての大きな課題である。