音気楽ブログ

なくならない

芥川龍之介の「人間失格」を改めて読んでいる。昭和42年・第12刷の本で紙はすでにセピア色、表紙もボロボロ。私が18さいのときに買った本なの49年=半世紀前。ページをめくっていくと、得体のしれないシミがあったりお菓子のかすのようなものが挟まっていたり、余白に「人間でいることに耐えられない・・・」などと落書きがあったり。あの時代の自分にフィードバックさせられる。当時は自分がまさかこんな年になろうとは予測もつかなかったに違いない。本は読み終わるころにはさらに劣化が進み、無残な姿になっているに違いない。

それはそれで時の移り変わりの中の経年変化であり、そうなると、そうなったものにはそうなった価値すらあるのである。紙・木材・木綿の布・皮などといった天然素材は、多かれ少なかれみなそのような運命をたどり、やがては消滅するのである。よく言う「土に帰る」のである。人間もそうであったはずなのだ。
ところが昨今の物という物が土に帰らない。いつまでも存在し続ける。代表格がプラスティック製品。海洋汚染の最大悪になっている。およそ作り出された物という物が劣化することなく(形こそ変わったりするが)存在し続ける。形こそあれ、役に立たないまま在り続ける。もれず、人間も同じこと。外見は若々しく美しく、しかし中身は何の役にも立たない。それどころか、周りのいい迷惑になり下がる。

ピアノのメンテナンスに行きました。製造されたのは55年前。あちらこちら傷んでおります。最小限の部品交換にとどめ、最低限の演奏に耐えられるように手を入れました。もちろん新品同様になんかなりません。激しい曲など対応できません。バラードとかをゆっくり静かに弾いていただく。70代の女性が嬉しそうに体を揺らして音を確かめていらっしゃいました。ピアノも人もそれなりに歳を重ねそれなりに老いていく。やがてはその形骸は消滅するのである。それが自然の成り行きである。

この「なくならない」社会でなくならないものや人がどんどん増えて、やがてはそういったもので地球全体があふれかえる。先進国が東南アジアの後進国にごみを輸出?しているらしいが、それもままならなくなってきているという。「なくならない」ことの恐怖。いずれたっぷりと味わうことになるのだろう。