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見える見えない

私たちにとって最も分かりやすいのが、「見える」ことですよね。あ、そうそう、この・・・ですよね!という言い方、押し付けがましくて嫌な感じ。失礼。
「見える」ことだと思います。この場合の「見える」は、先ずは視覚的に見えるという解釈をしていただきたいのですが。(心が見えるとかいうことではないんです。)

見えるということは、善悪が割にハッキリわかりますので、ほぼ間違いなく判断しやすいことだと思います。例えば、人を殴ったとか、車が信号無視して突っ込んだとかは悪で、倒れている人を助けたとか、席を譲ったとかは善となるわけです。

ところが、人生にはこの目に「見えない」ことが大変多くあって、このことによって心がいろんな影響を受けるわけです。相手の心の動きが「視線」「姿勢」「態度」になって現れる。怖いです。言葉は「見える」という解釈でいいと思います。言葉もものすごく影響力があってこわいのですが、それ以上にこの「見えない」属が怖い。見えない・聞こえないことが一番怖い。障害を持っていらっしゃる方がどれほどの思いをされているのか想像がつきません。

「見えない」属の悪意に支配されると、前に進むことができなくなる。最悪は自分の人生に幕を引いてしまうことになりかねない。常にこの「見えない」属を感じてはおりますが、過敏になってはいけないわけで(もちろん鈍感でもいけないわけで)、自分という存在を信じて生きていかねばならない。

少なからず、私も人に対してこの「見えない」属を発しているわけで、そのことによって受ける相手のダメージを思うと、反省しきりです。思ったことをなるべく「見える」方法で伝えられるように心がけようと思います。但しダイレクトが必ずしも良い方法というわけではありませんが・・・

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