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立ち位置とか居場所とか

新生活があちこちでスタートしたことと思います。環境や関わる人達が変わったりして、何とも落ち着かない真っ最中であろうと思います。戸惑いがあって、もちろんワクワク感もあるわけで、不安と期待がごちゃ混ぜみたいな感じなんでしょうか?
この年になってなんかそういったことから縁遠くなったなー。残念な感じ。昨日、息子の授業参観があって教室をのぞいてみました。速いもので4年生。この間3年生になったばかりだったのに・・・。3年担任の先生のお名前も漸くスムースに出てきたのに、新しい先生のお名前は・・・。浮足立って、校内も雑然とした賑わい。子供たちも何となく腰が落ち着かない様子。
後1月もすれば、整然として滞りなく時間が流れていくのでしょう。それぞれの立ち位置とか居場所がそれなりに決まっていくのだと思います。座席の位置、クラスノ中での役目、友達関係、先生との距離なんかですかね・・・。更には下級生や上級生との関係なんかも複雑に絡み合ってくるのでしょう。小学校の中では「中堅」ということで、苦労・心労が多くなるのでしょう。

今までは先生が中心、扇の要となって事が進んでいた、いわば管理されていた状態であった事が、これからは先生が「アドバイザー」的存在となり、それぞれに子供たちが自分の役割を自覚し自主的に進行させていくことになる。その場合、自分の立ち位置が分からない、あるいは作れないでいるといわゆる居場所がなくなっていく。流されたり妥協したりと、結果浮いた状態になってしまう。

そういったことは、もちろん子どもたちの世界に限ったことではなく、大学出て就職した職場の中でも当然起こりうることで、ありとあらゆるシチュエイションの中で、つまり人がいれば必ず直面する事なのである。人生はこの繰り返しで、大変だなー!

私、この「立ち位置が」いつもうまく見つけられbない人で、あるいは誰かに先を越されて失ってしまったりする人で、したがっていつも「居場所」がなくなっちゃうんです。するといたたまれなくなって、スーッと一人になる。何か「逃げ」の人生みたいに思われるかもしれませんが、案外この「ひとりワールド」というのも悪くない。世の中との接点を否定しているわけではないので、それなりに生きていけるもんです。なので、むきになって立ち位置とか確保しなくてもいいような気がします。

自分を愛していれば大丈夫!

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線引き=ボーダーラインというとかっこいい?

何でもかんでも「線引き」する世の中。ここからこっちはOK、ここからあっちはNG。人間の価値なるものをそのようにして簡単に分ける。タワーマンションにお住いの方、何階から上と何階から下では・・・とかやってますよね。私立は勝ち、公立は負け。大都市は勝ち、地方は負け。年収いくらは勝ち、それ以下は負け。ブランド物は勝ち、無印は負け。
「一等は勝ちでビリは負け」というあの運動会精神がそのまま世の中のあらゆることに影響を与えている。足の速い子もいれば、当然のろい子もいる。一斉に走らせて優劣を決めつける。何か、ルーツはこのへんからか。いやもっとさかのぼって、赤ちゃんが生まれて何か月でハイハイしたとか、立ったとか歩いたとか、そんなことを親たちが競い合っていたような気がする。すでにそのころから、競争が始まり優劣の区分けが行われ、線引きとなる。

どうやらこの世は優劣をつけることが大事なことで、優者は幸福であり劣者は不幸であると決めつけたいようである。優れていることはいいことであるに違いないが、劣っていることは決して悪いことにはならない。その辺の解釈を間違えると救いようのない世の中へ突き進むことになる。いや実際突き進んでいるのかもしれない。

みんな違ってそれでいい・・・でしたっけ。ちょっと前にはやった言葉。もう一度振り返って「みんな違ってそれでいい」。新しいスタートを切った子供も大人も、「みんな違ってそれでいい」。


みんながそう思っている?

毎日毎日、いろんなNEWSが飛び込んできますが、私パソコンで最新ニュース見ます。表題(っていうんだっけ?)が強烈なインパクトのあるものが多く、最もインパクトないと、誰も読まんわなー。誰でもそう思う、そう思うに違いない、絶対そう思っているというような書き方!。そう思ってなくても、そう思ってしまう。そしてすっかりその気になってしまう。
いまさら何言ってんの・・・と言われそうだが、昔(でたー!いつのことだよ!)は、もちょっと客観的表現であったように思う。公平感というか、押し付けがましくない表現。それがそうじゃなくなって、「えーっ、そう思わないの?そうじゃないの?それって変でしょ!」と、追いつめられていく。苦しくなって、思わず「そうです」ということになっちゃう。迷うとか選択の余地がない。

言いだしっぺが勝ち!言いきったら勝ち!何でもかんでも押し通したら勝ち!ですね。これって、「主張する」ことと「言い張る」こととの違いみたいなもんで、なんか女性にありがちな感じ。(また女性から非難、あびそう・・・)。言葉って、二面性があるんだけど、その悪い方が相当でしゃばってんなー、そっちが正当化されてんなーと強く感じます。

一人の意見はみんなの意見を代表しているものではない。暗示にかかり、丸め込まれないように気を付けよう!。「詐欺」被害がなくならないのも、その辺にあるように思えます。自分の意見を大切に!

guilty or not guilty

という有名な言葉がありますが、有罪か無罪かということで、白か黒か、右か左か、イエスかノーかであります。ヨーロッパ・アメリカなどは、この辺が非常にはっきりしているように思えます。そうでないと生きていけない環境なのだからだと思います。アンケートや街の声などを見ておりますと、はい、いいえ、そしてどちらともという回答があり、この「どちらとも」というのが圧倒的に多い日本人。
イヤー、そうはいっても・・・とかマーそういうことも・・・とか、ウーンそれほどでも・・・とかが多い。いいんじゃないですかー・・・いいと思いますけどー・・・なんて―のも得意中の得意。

農耕民族である、あった故、周りとともかく協調しないと生きていけなかった民族。そんな背景、DNAは分からないでもないけど、あまりにもいろいろな事があいまい過ぎる。曖昧にしてうやむやにしてしまう。三流のマジックを見せられているような不快感。アー、またですか・・・。ネタはばれてますよ、すっかり見えてますよ!と言っても、本人だけがそのまんま、知らないふりをして・・・ごり押しです。そして、「どうだー」と言わんばかりのしたり顔で、なんと図々しいことに拍手まで要求する。

貴乃・・・親方、佐・・・国税庁長官、安・・・総理大臣をはじめ、様々な有名な方たちがこの「ごり押し」です。早い話が、三流なんです、あんたたち!
一流なのはその「肩書き」だけです。ブランドものひけらかして、一流気取りのアホねえちゃんとおんなじだなー。日本の未来、いや明日が危ない!

桜咲く頃は、怖い・・・

私独自の桜伝説というのがありまして、ズバリ「不調」です。4月生まれが関係しているのか、私はこの時期にいろいろ不調をきたします。胸騒ぎ・落ち込み・悲壮感などの精神面でのトラブル。そして、体調がすこぶる悪化する。
咲く前は案外いいんですけど、それこそ「アーもうすぐ春だよなー」という期待感に胸躍る。ところがいざ咲き始める、どんどん咲いて満開!なんてことになると、突然前述の状態となる。

満開の桜はもちろん美しいし感動的であります。どこかでウキウキもしています。ところが実物をま直に、という状況になると、大げさに言えば逃げ出したくなる。びっしりと咲き誇る花々、いかようにも変化するその色彩、黒々とした角ばった枝振り。怖いんです。昔、桜の木の下には死体が埋まっている、と聴かされたことがあり、その話が大きく影響しているのかもしれません。とにかく怖いんです。木、そのものがなんか植物とは違う独特の生き物に見える。それこそ夜中に動き出すのではないか・・・などと想像してしまう。

できることなら、木の下にござ敷いて「お花見」なんかしたくない。なるべく遠くから眺めていたい。と言うのが私の桜に対する「偏見」であります。お花見を楽しんでいらっしゃる皆様、大変失礼いたしました。

・・・踊らにゃそんそん

とは言ってはみたものの、なんか勘違いして、何でもかんでもやらなければ、言わなければ損!みたいな世の中になっちゃったかー。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるー!ってんで、とにかく撃ちまくる。流れ弾に当たる方はたまったもんじゃない。

ひたすら前を向いて進む事だけがいいことなのか?情報とは何のために誰のためにあるのか?自分はさておいて、他に対して強烈に完璧を求める心理はどこから来るのか?言葉・文字の持つ良い力と悪い力とは?あなただけの・ここだけの・今だけの・スペシャル・プレミアム・・・この世はあなただけの物なのか?大人の顔はなぜ醜いのか?

山奥でひっそりと、それでいて何不自由なく暮らしている人を無理やり引きずり出す、あるいは土足で踏み込む、踏み荒らす。深海魚を海面に引き上げるような残酷な心無い仕打ち。それを傍観して笑っている。それが今の世の中。尊重とか尊厳とかいう言葉がすでに死語となってしまった。

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年頭に当たっての、最初のブログがこんな状態になってしまいました。さぞかし御不快になられたことと思います。お詫び申し上げます。が、老婆心、いや老じ心であえて申し上げました。

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