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ほほ=ほっぺたのご挨拶

あの最近よく目にする光景がどうしても気持ち悪い。どこぞの首脳同士が交わす、あの「ほほ」=ほっぺたをくっつけ合うご挨拶。特にアジア人同士のその行為が・・が出そうなほど気持ち悪い。アメリカやヨーロッパなどでは当たり前の挨拶の仕方なのでしょう。彼らのその行為はスマートでナチュラルで何の違和感もない。そんな習慣に感化されたのか、あるいはそういう形でお応えしないと失礼にあたるとでも思ったのか、そうすることが先進の証とでも思ったのか、何処へ行ってもほっぺたをくっつけ合う。何となく腰が引けていてどっちからやったらいいのか戸惑ったりして、誠にみっともない。どうせやらなくてはいけないんだったらもっと練習したらいい。国内で国会や議会などで色んな人と会うときにもやったらいい。なんで日本人同士だとやらないのか。恥ずかしくってできないでしょ!
私の感覚からすると、男同士がほっぺたくっつけ合ったりするのは抵抗がある。いやだ。男と女だったらいいのか・・・。それはいい!なんてこと言うと今度は即「セクハラ」となるよねー。
なんか世の中、どんどんアメリカナイズされていってもう何もかもって―感じ。洋風を取り入れることが先進だと思い込んでる民族なので救いようがないのだが、それらは殆どが表面的であって、根っこが何も変わってない民族がいくら先進を取り込んでみたところで滑稽に映るだけである。

夫人を伴って外遊されるのは構わないが、あの「手」をつないでタラップをルンルンと登る。まるで新婚旅行にでも行くようなにやけた笑顔。それもぜひやめてもらいたい。・・が出そうなほど気持ち悪い。

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何もかわんねー日本人

毎日毎日、うっとうしい日が続来ますなーって、梅雨の事じゃない。スポーツ界・政界を中心に繰り広げられる、大人たちの醜い姿・言動。芸能界のスキャンダル。老人の犯罪・事故。若い親たちの虐待子殺し。様々な身勝手殺人。陰湿かつ猟奇的な性犯罪。あらゆるシーンで起こる苛め。自殺。これらが毎日毎日当たり前のごとく報道最前線に並んでいく。そういった報道がない日はない。
もちろんこんな現象は日本に限ったことではないことは言うまでもない。もっと劣悪なことが全世界で起こっているなんて―ことは言わずもがな。

それはさておき、国家・企業・学校・様々な業界を代表する責任のある立場の人物が、そろいもそろって嘘偽りを絵にかいたようなやつばっかり。恥も外聞もかなぐり捨てて保身に走る。何でもかんでもどのような方法をもってしてもごり押し。開き直って押し通す。そうすることに関しては労苦をいとわない。今やTV中継は当たり前の世の中。どこでも誰でも皆が見ている。が、そんなことお構いなし。開き直って口をひん曲げ、薄ら笑いすら浮かべて正当化する。何でもかんでも正当化する。どう見たっておかしいことまで、私が言えば正しいんです!となる。威厳・尊厳なんてもんはもはや過去の遺物。名誉と金だけが彼らの関心ごとで、まさに欲の権化である。自分の欲が満たされればいいんです。

キムさんもトランプさんもプーチンさんだっておんなじじゃない!ってあんたらは言うんですよね!違います。彼らはもっと正直です。俺はこうしたいということをはっきりきちんと堂々と言います。確かに我が儘で勝手です。でも彼らはそれを認めて主張している。そういった意味では、私は彼らを評価します。

安倍さんを筆頭に今まさに旬?の人達、みんなうそつきです。犯罪者です。そしてそういう現象にまーまーとかなーなーとか他人事でいられる我々日本人の大人たちも同罪です。何回も言ってきたけど、所詮農耕民族である日本人は何もかわんねーんです。保身の「くせ」がしみこんでいる。自分さえよければいいんです。どのツラ下げて、子供に説教できるか・・・。微力ながら、なんとかしたい。しようとあがいております。

かんどー

自分に感動しない・できない人は、人を感動させることはできない。自分に感動するってどういうことなのか?自画自賛・うぬぼれ・一人ごちる・自己満足などとは違う。夕焼けなどに感動したりするのは自然が偉大であるからで、絵や音楽などに感動するのもそれらが無条件に素晴らしいからである。例えばじぶんが演奏した音楽に自分が感動する、自分が描いた絵に自分が涙する何て事があったとすると、自分のしでかしたことでありながら、もはや主観を超越して客観的になったあかしである。凡人が時として体験するのは、残念ながら主観的な状態で自画自賛しているだけ。客観的に自身を観察できるようになるためには相当な努力の積み重ねが必要なことで、ちょっとやそっとではその境地に達することはできない。到達した人を見ているとその積み重ね自体半端じゃない。

一日12時間も練習したとか何百回も同じことを繰り返したとか、それこそ寝食を忘れてのめり込む。他の事はどうでもいいというわけではないが、「それ」が最優先となり、それ以外はなくても失ってもいいくらいなのである。例えばそれをやり続けるために食事はいらない、寝る時間もいらない・・・みたいなことになる。半端な気持ちではそうはいかない。三欲に支配された生き方をしている私など、とてもじゃないけどそんな状態にはなれない。従っていつも「自我自讃」の人になりさがる。そして自己満足するのである。たはははは。

最も、もっとひどいのは、すっかり自己をあきらめ見捨てて、「他」だけに走る人。スポーツに親しむのではなく、スポーツ観戦に熱中する人。何時間も並んでパンダを見に行く人。命がけで羽生選手の追っかけをする人等々・・・全ての夢や希望を「他」もしくは「他人」に託すのである。そんな人生楽しいか?
極め付けが、子供にすべてを託す!なんてえことを平然とやってのける無責任な「親」。人は其々が個であり、それぞれが自分に与えられた素晴らしい人生というものに磨きをかけて、それこそ感動しなければいけないんじゃ!人生は神様が下さった素晴らしい送り物。大事にしよう!

笑い顔VS笑顔

フェイスブックなるものにうっかり参加登録してしまった。おかげで、毎日山のように「新しいお知らせが届いていまっせー!」攻撃。開かないとなんかとんでもないことになりそう、恐怖感。開いてみると、ほとんどが自己中アピール。私は僕は俺はかくかくしかじか、どうしたこうしたこうなった。どうでもいいような内容にどうでもいいような映像を添付。「ねえねえ見てみて!」「すっごいでしょー!」という声がふんだんに盛り込まれ、更には、あんたらの顔、みんな笑っている。歯をむき出して目をひん剥いて、なんかものすごくわざとらしく笑っている。幸せそうだなー・・・。
必然的に、全部あんたが主役風!こんなおいしいもの見つけちゃったー!見つけちゃったあんたがすごいのかい?こんな景色見ちゃったー!見ちゃったあんたがすごいんかい?こんなすんごい車にのっちゃったー!乗ったあんたがすごいのか?勘違いも甚だしい。すごい息子を持った親が「すごいでしょー!」と自慢してるようなもんで、あんたはすごくないの!それと、添付している映像の何ともわざとらしい「Vサイン」的雰囲気。その笑い顔、ひきつってるぞ!

最近氾濫している、外向けの笑い顔。こいつは笑顔とはちがう。笑顔とは心の底からにじみ出る自然な喜びによるもので、笑い顔とは、無理にそのような形に変形させたなれの果てである。今の世の中、ほとんどがこの笑い顔。よくよく観察してみると気持ち悪い。まさに「嘘」であり「ごまかし」。が、本物の笑顔を送って頂いてる方には失礼いたしました。最近の私があまり笑えてない「ひがみ」でしょうか・・・としとった証拠かのう・・・

**として立派な人でした・・・

人がお亡くなりになりますと、お通夜とか葬儀とかありまして、「親族を代表して++様よりご挨拶・・・」となるわけです。エー、本日はお足元の悪い中、またお忙しい中、たくさんの方々の御参列を賜り・・・。故人となりました**は生前は・・・・でありまして…手前味噌ですが「父親としては立派な存在でありました」。なんてことを言ったりするわけで・・・。

さてこの、「父親として立派な存在で在りました」という表現ですが、もう一つ別な言い方をすれば「立派な父親で在りましたした」ともいえるわけです。どちらも立派であったと言っているわけですが、実はこれが似て非なるもの。前者は、父親としてはりっぱであった。けど・・・と、けどが付く。評価するに当たり、ここは良かった、けど他は良くなかった、みたいなことになる。後者は父親としても、他の事もほとんどすべてが良かった、ということになるんです。
世の中、やはり「前者」が圧倒的に多いのかな?出来れば「後者」のように言われる人で終わりたい。本日、西條秀樹さんがお亡くなりになりました。彼は歌手としては立派な人だったのか、立派な歌手だったのか・・・。ご冥福をお祈り申し上げます。


あっち側とこっち側

正式に申し上げますと、「主観」と「客観」ということでしょうか。

主観中心の人が増えておりますなー。また辞書を引用させて頂きますけど、主観とは、物事をとらえる個人の心の働き、もしくは自分だけの見方。とあります。前者のような解釈だとよいのですが、どうも後者のような解釈=自分だけの、自分中心の見方、考え方になっている傾向がどんどん強まってきている。
更に、それを何が何でも押し通す。そうなると善悪なんか関係ない。通した方が勝ち!逆に譲歩した方が悪者にされたりする。インドだかあっちの方で、まだ男尊女卑がはなはだしい国で、無理やり結婚させれて強姦まがいにセックスを強要された女性が、身の危険を感じて夫を刺した。その女性は死刑の判決を受けた・・・という海外ニュースがありました。どう判断したらいいのでしょう・・・。

政治家は言うに及ばず、何らかの「権力」らしきものを持っている人は、それを振りかざして、何でもかんでも正当化しようとする。押し通すうちに正当化されてしまう。権力のない人たちは「権利」をやたら目ったら主張する。これもいい悪い関係なく主張、いや言い張る。そして結果的には押し通す。

車を運転していると、歩行者が邪魔くさい。歩いていると車がうっとうしい。やってあげている人とやってもらっている人との間に生ずる温度差なんてのがあっちゃこっちゃでトラブルの原因となる。あっち側にいるとこっち側が見えない、分からない。窓の外と内側では全く別世界となる。言い尽くされたことだが、相手の立場にならないと相手のことは分からない。客観的観察・思考が必要なのですが、最近の傾向は、相手の事なんか関係ない!のであります。主観ばかりで客観はないのであります。それほど忙しいんでしょうか?化粧品塗ったくるときだけではなく、一日一回、鏡に心も映してみましょうよ。

世の中、生きる道が全て「一方通行」になってしまうんだろうなー・・・

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