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音気楽ブログ 社長ブログ

水面下

見えないところで様々なことがおこっている。ある日突然実態が明らかになり、驚かされることが多くなった。北極の氷が解けていろんなものが露呈するように、今やあらゆるも物や事がさらけ出されていく。北海道に住んでいたころ(もう50年も前のことだが)冬に積もった雪が3月の声を聴くころから解け始める。すると今まで隠れていた隠されていたものが次々と姿を現す。みかんの皮、犬のふん、なくしてしまった毛袋、隠したつもりの0点のテスト・・・・・。いまや世の中の悪事がどんどん露呈してきて、それを抑え込むことがむつかしくなってきた。怖いのは人間で、そうやって露呈しばれてしまったことに対して、開き直るのである。反省や詫びる気持ちなどみじんにもなく、「だからどーした!」と開き直り正当化する。自然現象や動物はそういうことはしない。人間の犠牲になっているにもかかわらず、恨み言一つ言わずに流れを受け入れる。
人間とはなんと罪深い生き物であろうか。国のトップであるやつらの生き方を見ていると、人間の悪行はなくならないのであろう。

水面下といえば、突然道路ができている。高速を走っているとなんか見慣れない看板、景色が突然現れる。昨日までなかった道路が忽然と姿を現す。どっちへ行ったらいいのか迷っている暇はない。そちらのほうへ行っちゃってみると、なんと全工程が地下だったりする。気が付かないはずである。見知らぬ場所へポッコリと出されて、はて?ここはどこかいな・・・・。新たに道路作ってたなんて知らんかったーーーー。良いことが水面下であればよいのだが、どうやら悪いことのほうが圧倒的に多いようである。だまされたらいかん!

嘘偽りは

嘘や偽りが蔓延しております。「嘘をついたいかん」と親に何回も言われ、それでも嘘をついたりごまかしたりをしてその場をしのぎ、後で必ずばれる。いまだにみじめな思いがよみがえったりする。我が子に「絶対に嘘をついたいかん」と言いながら、いまだに自分への戒めにもしている私です。なんで人間はうそをつくのか。自分にとって安楽なほうへ逃げたがるのが人間の性。
スパイラル現象の極みで、些細な嘘がやがてはとんでもないおおきさに膨らんで収拾がつかなくなる。おそらくみんなそういう経験をしてきているはずなのに、なぜかちょっとやってしまう。すぐに改めればなんということはない「笑い」で済んでしまうことが、やがて巨大な渦になってい襲い掛かってくる。ぼやが大火事になる。

安物の洋服やアクセサリーで着飾ってみても、薄毛をいろんな方法でカバーしてみても、軽自動車にターボを積んでみても、少ない知識で偉そうなことを言ってみても、できもしない技を繰り出してかっこつけてみても、がばがばお顔にぬったくってみても、安物のスピーカーで音量だけ上げてみても、即席のだしで煮物をしてみても、政治家が偉そうにおべんちゃらを言ってみても・・・・・。やがてメッキがはがれていくのである。

ところが実際の世の中は「ゴーン」や「詐欺師」や「人殺し」が高笑いする、限りない嘘やごまかしやご都合主義であふれかえている。そんな社会に足を踏み入れる「新成人」がいかにもかわいそうである。20年間かけて培ってきた純粋な思いがそこでくじかれるのである。学校で教わったことや親から言われてきたことが意味をなさなくなるようなあきらめと失望の社会。毎年この成人の日を迎えるにあたり、一社会人として情けない思い、無力感に襲われる。迎える若者たちの「記念日」ではあるが、合わせてすでに大人になったばか者たちの「猛省の日」とすべきだある。悔い改めよ!大人たち!ちゃんと鏡を見よ!お前たち(私も含めて)は醜い!

清く正しく美しく、明るく元気よく!これしか世の中を救う道はない1



なんでも出しゃあ・・・の続き

成長する、大人になるってえことはよ、うまく隠す・ぼかす技を身につけるってえことだよ。生まれたばっかりの赤ん坊は、それこそ丸出しだ。何も隠さないしその必要もない。成長するにしたがって自分の能力や見かけなんかを意識するようになる。さらに自分の性を意識するようになったりしていろんなことを隠すようになるんだ。そういった意味での隠す行為は決して間違っているのではなくむしろ必要なことであって、そういう意識が芽生えないとすると逆にやばいことになったりする。隠すということは人間が人間らしい尊厳を保つために必要な行為である。動物を見よ!はばかることなく平気で排泄したり生殖行為をしたりするではないか。洋服など着ないではないか。
アダムとイブの話に戻ってみれば、それこそ人間が恥ずかしいと意識を持ち出した始まりであるわけで、それゆえ「神の領域」であったり「神秘的」であったり「謎めいたこと」であったり「ベールに包まれた」という表現が生まれたりしたわけだ。細やかな神経を使ってテクニックを使ってうまく隠してきたことをことごとくぶち壊していく。むき出しにして「どうだーーーーー」と喚き散らす。そういうことを女性が率先してやり始めた。スカートをまくって股をおっぴろげるような行為を平気でしやがる。禁句といわれてきたことを平気で口にする。
何でもかんでもおおぴらにすればいいのではない。陰湿な隠し(隠匿)を進めているわけではない。しまっておいたほうがいいものだって世の中にはたくさんあるんだ。その辺の感性が喪失して何でもかんでも露出する人々。それが斬新なことだと思っている。彼らはもはや人間の尊厳を見失った動物である。イやそれ以下の生き物になり下がったのだ。芋虫にでもなったほうがいい!なってしまえ!いやもうなっているぞ!

何でもかんでも出しゃあいいのか

最近のTV(に限らず)、何でもかんでも露出しやがる。外科の生南しい手術、動物などのリアルSEX、アダルトビデオもびっくりの性器の露出、牛や豚などの解体ショーなどモザイクやぼかしなどもいい加減なかけかたで丸見え状態。男性の前では禁句であったはずの「生理」については朝っぱらから国営放送が堂々と取り上げて放映。女性の苦しみを男どもにも共有・理解させるためだと。女性の代表みたいのが男どもに向かって偉そうに当然のような顔して説明しまくる。体の構造から始まりどんな苦痛を伴っているのかなど事細かにのたまう。挙句の果てに使用している用品の紹介説明に至ってはもう勘弁してくれ。なんか、お前ら恥ずかしくないのか?なんでもオープンにすればいいというものではないんだよ、世の中は!伏せたり、良い意味で隠したり、ベールに包んだりしなくてはいけないことだってあるんだ。すりガラスをすべて透明ガラスにしちゃって、開き直ってやがる。もろに見せられたら、幻滅だわ・・・・。
「神秘的」なんてえ言葉がなくなってしまうんだろうなあ。見えないわからないことがあってそれが人生の妙味なんだがなー・・・。セックスレスのカップルが激増してるみたいだけど、そりゃあ女が平気でいろんなこと露出するから、男は嫌になっちゃうんだよなー。チラリズムなんてー言葉が懐かしいぜ・・・・・。あーあーあーイやんなちゃった・・・・ゲップ・・・

替え歌・大人のトトロ

あっるっこー、あっるっこー、わたしはげんきーー!何度聞いても勇気の出る歌ですねー!
それがこのように「ダメ大人ソング」に・・・・

アルコール、アルコール、私はげんきん(現金)
アルコールだいすきー!どんどん飲もう

日本酒、焼酎、ワインにビール
飲みすぎ食べすぎー、あげく二日酔い

それでも飲むぞーー懲りずに、今夜もーーーーーでした。

またまた、たくさん飲む機会の増える時期となりました。いろんな理由つけて飲みすぎ注意!!

何が何だか

何が正しくて何が間違っているのかわからない世の中になっちまった。いーや人間の歴史の中ではずーとそうだったのかもしれない。どんなおべんちゃらを垂れても、人間はやはり「私利私欲」のために生きているんだろうな。振り返ってみると自分も充分にそういう人だものねえ。恐れ多くも、天皇様も法皇様も人間である以上、例外ではないと思える。生きている以上「食欲」「性欲」「睡眠欲」の三欲から逃れることなんかできねえんです。別格は「神」のみ。
裁判員制度が導入されたのはいいけど、ここんところの判決は一体何なんだ!神も仏もないとはまさにこのことで、他人事ながらはらわたが煮えくり返る判決ばかり。法律とは何のためにあるのか。裁判官とはいったい何様のつもりなのか?神にでもなったつもりなのか?全能の神なのか?ぶっ殺してやりたいやつばかりだ。日本人はおとなしすぎる。それが災いして今や世界からバカにされていることもわからないで・・・・
ボーっと生きてんじゃねえよー!

何でもかんでもレンタル

必要な時にレンタルすればいいんです。車・ビデオ・CD・部屋・楽器・衣装などに始まり今や「人」まで簡単レンタル。恋人や妻までもが・・・・。愛車だとか愛用の楽器だとか言いながら、昔は物を大事にしてそれこそ愛情を注いだもんだ。そもそも物というものは手に入れる楽しみや醍醐味があって、いろいろ考えた末の選択によって手に入れることが多かった。それゆえ手に入れたものはワンエンドオンリーであって、末永く大事にしたものだった。同じものでも自分で選んだものは別格であり、愛情を注いだもんだ。
今の若者は所有欲がないという。自分だけの物に価値を見出さない。逆に所有することが面倒に感じるらしい。したがって、新車の販売が振るわない。家もマンションも賃貸が好まれる。しかも家具から食器から何でもそろっている物件に住みたがる。その日に契約してその日から暮らせる部屋ということらしい。住んで一つずつ家具をそろえたり、食器を選んだりということが面倒で興味がないらしい。これもしたがって、それぞれの物に対する愛情なんか育つわけがない。気が変わればさっさと出ていく。それこそ「身」一つで・・・・。
おそらく最近の恋愛とか結婚とかもそんなノリなのかもしれない。簡単に一緒になって、気まぐれに別れる。そこには悲も喜も何もないのであろう。簡単明瞭で大変結構。人間は所有欲のためにいろんな苦しみを持つわけで、その所有欲がなくなればこれほどさっぱりとした人生を送れるのであろう。
レンタルばんざーい!何でもかんでもレンタルレンタル。人生そのものがレンタルになっていくのであろう。飽きてしまったらどうすんだろ!
別の人生が簡単に借りられる時代がもうすぐそこまで来ているようなにおいがする。

進化とは

フィギアスケートのNHK杯ですかね、日本・ロシア・アメリカの選手がしのぎを削る女子。この度はロシアの16歳の美少女が優勝、日本のきひらは2位だったようですが、いったいどこまで進化していくのでしょうか。3回転が当たり前になりやがて4回転も当たり前になり、すると今度は5回転ですか・・・・。これを進化と呼んでいいのでしょうか?回数の問題なのか、高さの問題なのか、速さの問題なのか。もちろん芸術点も競われるわけですが、なんか技術点優先みたいな感じ。いかに芸術的であっても4回転ができなければ順位は上がらない。多少芸術的でなくても4回転が決まれば高得点となる。
スケート界に限ったことではなく、あらゆる世界でこの技術点が尊重されていく。例えばピアノのコンクールなんかもそういう傾向が強くなってきていて、速さ、正確さ、(音の)大きさなどが評価の対象になったりする。音の大きさに至っては全く愚かなことであって、どんだけホールに鳴り響くかが評価されたりする。メーカーも音量の大きなピアノを躍起になって作る。
そうなることによって、良い方向へ向かうのが進化なんだと思う。とんでもない方向へ向かって突き進んでいるように思える。果たしてそれは進化と呼べるのだろうか。

プロがばらす

簡単レシピをプロがばらすのが流行ってますなー。料理とかDIYとかなんとかかんとか、今までは長年の修行の上に習得されていたことが、今やたったの3分イや1分でできちゃうんですねー。コンピューターによる科学技術の異常異様な発達が、その「修行」の部分をあっという間に解決してくれる。前略、中略、後略でいきなり結果!。すごい。みんなプロ並みです。
板前になるのに5年も10年もつらい修行、なんていらないんです。ということは、今まで苦労して積み上げてきた人たちはどうなっちゃうんでしょう。バカを見た・・・ということになっちゃうんでしょうか。いいや、それ違いますと、私思ってました。結果だけで評価されるんだったら人生の意味がない!と、思っていました。コツコツとかじっととかずっととか一歩一歩とか、そういうことで素晴らしい結果につながると、思ってました。どうやらそちらのほうが間違い・・・。時間をかけて出しを取らなくても**調味料でいいんです。コトコトに込まなくてもチンでいいんです。そういうことをプロが楽しそうに言うんです。開き直りかとも思いましたが、実際にこにこして言い放つ。マジシャンのネタ晴らしのような感覚。プロでありながらそのプライドに自ら傷をつける。
最近「ピアノ」が売れません。ピアノを習いたい人が増えているのに、いわゆる「生ピアノ」が売れないんです。重い・うるさい・高い・黒い・・・・と、デメリットばかりの代表格になってしまった。電子ピアノが売れてます。電子はあくまでも電子で、その音はアコースティックではない!などといっても、だれも聞く耳持たない。仕方がないので、先生たちも「電子でもいいじゃないんですか・・・」となる。これも迎合イや妥協です。プロがどんどん妥協して自らの生きる道を狭めていく。自業自得かな・・・・。


客が気を遣う

客が気を遣っちゃう店がある。中華料理の店なんだけど、メニューを見ると親父のこだわりがうかがえる。おそらく30年近くやっているんだと思うのだが、店は汚い。不潔というのではなく改装とか全くしていないので、床がはがれていたりテーブルカバーがくすんでいたり、メニューが黄ばんでいたりあと、メニューを書き換えたりしてるんだけど、新しい紙使わないで古いメニューの上に✖つけて横に汚い字で訂正してあったり、おおよそ見かけに何も気遣いがない。奥さんと二人で店をやっているんだけど(中国人の結構愛想のよいおくさん)ここ1年程その奥さん見かけない。つまり厨房もホールもそのこだわり頑固おやじが一人でやっている。
遅い!いつまでたっても料理が出てこない。一番時間がかかった時は注文してから25分かかった。さすがに切れそうになったが、事情を知っているだけにじっと我慢の子でいた。昼時は当然混むからちょっと早めに行く。さすがに料理がスムーズに出てくる。が、そのあとがよろしくない。次から次へとお客が入ってきて様々な注文。3番目あたりからもう滞り始める。客に水を出す、注文を聞く、厨房に戻って料理始める。また客に水を・・・なんてえことを一人でやっているもんだから迅速にサーブすることなんかできっこない。また客が入ってくる。うわー!土方のおっちゃんが5人も入ってきたー・・・。おらは何とかの大盛と餃子、おらは何とか麺と半ライス、おらは麻婆豆腐とラーメン・・・・・・。オーダーはどんどんたまっていく。料理は全然出てこん。客がだんだんイライラしてくるのがわかる。空気がやーな雰囲気になっていく。私、レバニラ定食食べているんだけど、なんか落ち着かない。一人だけ食べてんの申し訳ないような気になってくる。租借もそこそこに飲み込むようにチョッパやで食して、早々に立ち去る。
このおやじ、愛想がないというかことば足らずというか、例えばちょっと時間かかりますとか言えばいいのに、そういうこと一切言わない。もくもくと厨房とホールを往復している。半分以上の客の眉間にしわが寄っている。とにかくこのおやじ、まじめというか正直というか、もしかしたらバカなのか・・・。料理にはこだわりがあって、手抜きしないし材料吟味しているし、おいしいし。だから行っちゃうんですけど、客あしらいが超へたくそで、こっちがハラハラしちゃうんです。そんなとこ行かなけりゃいいのに、なんか惹かれるものがある。時間を外して午後一時過ぎとかに行くようにしています。すると面白いもんで、おなじような客がその時間帯にちらほら入ってくる。常連さんで、この頑固おやじのペースがよくわかっている人たちで、なんかツーカーな感じ。時間がかかることなんか気にしてない雰囲気が漂って、しあわせな空間になるんです。

世の中とはよくしたもんで、頑固物を理解してさせてくれる人がいるんだなー。頑固物はつまりは一生懸命やっているわけで、やっぱ筋が通っているからなんでしょうね!それにしても、奥さん帰ってきてあげてよ!多分子供といっしょに逃げっちゃったんでしょ!あの親父だったらわかるような気もするけど・・・・。でもこんな客のために、帰ってきてよーーーー

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