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音気楽ブログ 社長ブログ

~のための


この度「新内閣発足」となったわけですが、国会議事堂の中をうごめく大勢の議員の群れを見せつけられて、いまさらながらうんざりする。まさに議員のための国会であって、国民のための国会ではない。園長のための幼稚園・先生のための教室・医者のための病院・裁判官のための法廷・シェフのためのレストラン等等。世の中にはいろいろな「ための」があるのですが、いったい誰のためのなのか、主客転倒してしまっている現象が非常に多い。
及ばずながら、小学校のPTA会長2期目となって半年になろうとしている。コロナの影響をもろにかぶってほとんどの活動が中止となり、何もできないうちに時だけが流れ焦りを感じる。早くも来年度の役員選出の時期を迎えようとしている中、相変わらずその選出方法についてもめることあり。従来の選出委員の面談による方法について、委員の物理的、精神的負担が多すぎるというのである。PTAに関しての是非論は今に始まったことではないが、年々否定的な意見が活発となり、廃止してしまった学校もある。その存在役割についてはここで述べることは控えるが、やはり必要であることは間違いないことで、学校運営にとっては欠くことのできない存在ではある。ではなぜ反対意見が多いのか?端的に要約してしてしまえば「面倒」なのである。自分の時間を割いてなんで活動に参加しなければいけないの?なのである。これも主客転倒の最たる例で、そういう考え方は「~のための」という社会生活の原則を振り返るべきなのである。学校のためのPTAではなく「子供」のためのPTAなのである。したがって参加することに意義がある、参加しなければいけないのである。

ダイレクトに自分にメリットがなければ「行動」しない。どうもそんな傾向がますます強くなっていく世の中。あなたは~のために生きているのでしょうか?~のための自分なのでしょうか?

あの渋滞はなぜ?

毎日のように移動手段は車であります。電車に乗るのはおそらく年に2~3回。あちゃこちゃで必ず渋滞しています。原因は様々で、事故が圧倒的に多いですかね。雨の日なんか必ずどっかでやってる。そして首都高速などに多いのが故障車による渋滞。一車線が塞がれて交通量が多いのであっという間に3キロも4キロも渋滞が伸びる。環状線などでトラブルが発生するとすべての路線に影響する。故障?今の車はとてもよくできていて、そうそう故障などしない。道路も整備されていてパンクもない。するとなんなんだ?。ガス欠である。気が付かないのかまだ大丈夫だと思っているのか、ガス欠で車が走行不能になる。これって誰のせいよ。100%ドライバーの責任。あるいは電力切れ。オーディオガンガン、TVがんがん,、エアコンがんがん、スマホの充電、余計なライトの点灯、でんきを食うアクセサリー満載、やたらブレーキ踏みまくり・・・。さらにエンジンオートストップ機能?とやらでバッテリーが悲鳴を上げ、挙句の果てに供給オーバーになってダウン。二度とエンジンかからない。なんで?って最近のドライバーは気が付かない。これって欠陥車じゃねーのーとか思っている。
土日・祝日に多いのがホームセンター駐車場入り口渋滞。このご時世特にこの渋滞が増えた。そして最悪はマック渋滞である。10台15台なんてまだいいほうで、20,30台の車が一車線を長々とふさぐ。なんで渋滞してんだか分んないで「けつ」についたりすると、相当にバカを見る。ふざけんじゃねえよ!おら、マックなんかに用はねえや!もう救いようのないほど渋滞が広がっていく。てめえら何してやがんでえ!ドライブスルーでハンバーガー買うんだろうがなんでマックなんだよ。大体並んでいやがる車種を見るとワンボックスが圧倒的に多い。年齢層はほぼ20代から30代の前半。夫婦に子供二人。後ろの座席では子供が飛んだり跳ねたりしている。順番が来るまでこんな様子だと20分30分は待つんだろうなあ。くそくらえ!なんでそうやってヤングファミリーは休みの昼めしがマックなんだよ。そんなにうまいのか、なんかもらえるのか・・・おそらく子供がいうんだろうなあ、お昼はマックがいいい!すると奥さんが、あなたあー、マックにしましょ!旦那はおそらくあまり乗り気ではないんだろうなあ。
ま、そんなことはどうでもいい。良くないのは、てめえらのおかげでこっぴどく道路が混んで、関係ないわしらが大いに迷惑してるってことだよ。お前らのマックのために、なんでわしらが時間のロスをせねばならんのだ!やい!マクドナルド!この現状を何とかしろ。お前らの商売のために道路があるんじゃねえぞ!そういえば、こないだ環八に面したマックでとんでもない渋滞が起こって、パトカーが出動する騒ぎになったっけ。なんか現代日本の表面的な繁栄と貧困を一度に見た思いである。情けねええええ・・・マックにはいかないと誓うのであった。

時間よ、とまれ!

時は流れる。いつまでもどこまでも。今はもはや今ではない。あっという間に昨日は過ぎ去り、今日も終わりを迎える。すかさず明日になる。それの繰り返しでこの流れはエンドレスなのである。何を当たり前のこといっちょんだって?そう、流れに乗っている者にはわからない。終点のない電車に漫然と乗っているようなもので、自らの意思ではなく場所と時間が必然的に流れていくのである。(そういった意味もあって私は電車が嫌いなのである)
流されている者はどうかというと、この流れに対してかなりの認識を持っているのである。実は流れがよく見えていてあるいは感じていて、そうしたくないのにそうなってしまっていることを自覚しているわけで、ただ乗っかっている者に比べたら、はるかに救いようがある。つまり乗っている者は救いようがないのである。
流れに逆らっている者こそが物事を客観的に判断ができる状況にあるわけで、少なくとも一旦止まる(流れから出る)ことが大事なのである。乗っている以上は、それはどこまでも止まることはないし、とまらなければ適正に判断するチャンスも失うのである。現代人はこの流れ、激流に乗っかって何もかも見えなくなっている。すぐにも今起こったことを忘れていくのである。次々変化していく景色に、とにかく遅れまい、逃すまいとして応対し忘れさる。そこには何も残らないのである。
総裁選を迎えて、やはり安倍さんがよかったなどという世迷言が聞こえてくる。さんざんに問題を起こし、何も明確にしてこなかった安倍さんの悪行も、もう忘れ去られている。時の流れにただ乗っかっていればそういうことになるのであろう。ここらで一旦流れから降りてみませんか。真実が見えなくなって久しいあなた!誰の、なんのために流れに乗っかっているのか、そのほうが楽ちんだからですかね!やがては本当に大切なものを失うのである。!そうなってからは時すでに遅し!

時の流れに・・・

今や言うまでもなく「コロナ」がベースとなった「時」が流れている。その流れにうまく乗って、いわゆる折り合いをつけながら生活を維持していくのがベストであるといわれて久しい。気を付けたいのが、流されてはいけないということで、その流れを見極めて乗っていかなければとんでもないところへ流れつくことになる。その流れを悪用する輩もたくさん出現してきて、新たな詐欺事件も多発している。
常に流れに逆らって生きてきた私からすると、流れに乗ることに不信感と恐怖すら覚えるのである。一昔前は、私も若かったし幼かったので、世の中というものを真正面からしか見ることしかできず、「清く正しく美しく」生きていれば幸せになれると信じていた。若さとバカさでそう思い込んでいたのではあるが、ようやくこの年になって世の中に「裏」があることを知り、その裏の力が世の中の流れの「あらかた」を操作していることに気が付いたのである。したがって、どんなに抵抗しても変わらないものは変わらないのである。で、この流れにうまく乗っていくことを考えればいいようなものの、それができない。流れに竿を刺す。流されないように踏ん張る。流されても何かにしがみつく。疲れる・・・の繰り返し。だが、そんな無駄にも思える行為も続けていると川底に足が届いたりして、踏ん張る足場ができたりもする。
やはり、流れに逆らって生きていくしかないので、まさに継続は力なりの精神で踏ん張っていきたいと考えます。するとやがてそこから何らかの糸口が見えてくるものではある。とはいうものの、たまには「時の流れに身をまかせ――」と、のんびりしてみたい!

いんだけどー

なんのこっちゃ?いいんだけどー、もっとわかりやすく言うと「それはそれでよいと思うのですが―」ということです。いろいろな場所でいろいろな人々とお話ししていると、必ずこのようにのたまう方がいらっしゃる。さんざん人に意見や考え方を述べさせておいてそろそろ結論かなというときに、最後にこうのたまう。じゃ何なんだよ、反対意見ならさっさと言えよ!もっと早く言えよ!。こういう人最後まで黙っている。うんうんみたいな顔したり、まったく興味ないみたいな態度とったりして、最後にひっくり返す。話の過程を無視、振出しに戻す。またそこから始めなければならず、話し合いが一向に進まないんです、こういう人がいると・・・。どうも世の中の様々なことがスムースに解決しないのは、こういう人種のせいなんですね!あなたはどうですか?私は、どうでしょう・・・。お気付きになられた方はどうぞご指摘ください。

3密ならぬ3ミス

3密!。もう耳タコですね。言ってる人も言い飽きた感があるが、仕方ないんですこればっかりは。当たり前のことと、大原則として受け入れるしかない。だんだん慣れてくるとこれがぼけていい加減になる。「まあ大丈夫じゃない?」という慢心。「自分が正しい」という思い込み。そして最も怖いのが「もうどうでもいいや」という放心であります。慣れてくるとこの三つのミスを犯しやすくなる。やはりここで初心に帰って、「三密」を避ける思い、行動を再確認いたしましょう。

人材とは?

「人材にお困りではないですか?」などという☎がしょっちゅうかかってくる。うちは音楽教室やってて、先生が13人来てくださっております。ピアノに始まりサックス、クラリネット、ギター、ベース、トランペット、ボーカル、バイオリン・・・・・ないものはない!。「御社のHPを拝見いたしまして、講師の方とか人材におこまりではないでしょうかあ?」という営業のでんわ。うるっさいわい。そもそも人に対して「材」という表現はなんとや!本当は「財」なのだ―――。というわけで、うちの先生方はうちにとっては財産です。労使の関係ではありません。集めさせていただいた生徒さんを、それぞれにご担当いただく。それぞれにご管理いただいて、うちはレッスン室を提供させていただくという全く対等の関係です。
今や人が人を「使う」なんてえ時代ではありません。ズバリ「契約」です。欧米的に言うところの「契約」です。そうすることによって、お互いに自覚を持ち強い責任感が生まれる。やっただけギャラになるのですから頑張ります。それが正しい人間関係だと思います。魚を取る人、売る人、買う人、みんな対等なんです。誰が偉いんじゃないんです。そもそもの人間関係はそうだったはずなのに、なんか知らんが上下関係やら強弱関係やら優劣関係やらが出来上がって、とんでもないことになっている。したがって、よい人材なんていう考え方がそもそもおかしい。自分の言うことを聞いて思い道理に働いてくれる人が欲しいんでしょ。そんなの勝手すぎる。誰が人(他人)のために命懸けで働くもんかい。もはや昭和でもなければ平成でもない。みんな自分のために生きていこうと必死なんだ。子飼いの社員?くそくらえ!会社が守ってくれる時代は終わったんだ!人を当てにして自分がいい思いをしようたってそうはいかんぜよ。いい加減「人を雇う」なんてえ感覚から脱却しないと、あんた、生きていけなくなるよ。人はあんたのためにいるんじゃない!人は材料ではない!

あおる阿呆にあおられる阿呆

あおり運転厳罰化!初の逮捕者!とありました。あおり行為は確かによくないしかなりの危険を伴います。最悪死亡事故にもなったりする。そうなんです。ダメなんです。やってはいけないんです。
私は運転歴45年のベテランです。免許取ってからほぼ毎日運転。乗用車、2トントラック、4トントラックまで運転した。400㏄のバイクにも乗った。走行距離はもう地球を何周もしたくらいだ。ありとあらゆる道路を走った。自慢しちゃうけど運転は相当うまい。そんなわたし、あおられた経験たくさんある。特に高速道路などでは追い越し車線を走っていると、さらにすんごいスピードの車が後ろから突進してきてあおる。以前はパッシングされたりクラクション鳴らされたり・・・・。一般道では右折しようとして対向車が切れずになかなか右折できないと、しびれを切らした後ろのドライバーがやたらエンジンをふかしてあおる。法定速度で走っていると車間を詰められてぐいぐいあおってくる。なんてえことは何度もありました。
こちらが悪くなくてもあおる人にしてみれば、なんか気に入らないわけで、そのいらいらがあおり行為になる。そういえば、歩いていてもそういうこと結構ありますよね。運転ってその人の心理状態がもろ出るんですね。特に気の短い人、わがままな人はそういう行為に走る。で、私も実はあおったこと、結構あります。
あおられるほうにも問題が山のようにあるわけで、のろのろ運転(わざとじゃなくても)、交通法規無視、ながら運転(特に女性に多いおしゃべり夢中運転)、体調不良運転(寝不足など)、バックミラー無視運転(これも女性に多い)、へたくそ運転(これも女性に・・・)等等、モーほんとに腹立つうんだよなー!!!!!。仕事で走ってるドライバーなんかからすると、ほんとに腹立つし困るし。毎日当たり前のように運転している人と、たまーにしかやらない人が同じ路上を走っていること自体が間違いの始まり。車種も技量も目的もバラバラな人達がですよ!
あおるほうもあおられるほうも両方に問題があるんです。どっちかが一方的に悪いなんてえことはない。世の中のトラブルはすべてフィフティーフィフティーなんです。そこんとこ、みんなでも一回よーく考えよう。そうすればこの世からトラブルはなくなる。
私は「あおる」人の気持ち、よーくわかる!あおられる人、少しは反省せよ!

自己顕示君VS自己愛さん

顕示も愛も強すぎると始末に負えない。どうもうまくいかないカップルにはこの取り合わせが多いようだ。方やあらゆる場面で自分を主張するし、もう一方はすべて自分のいいように解釈する。顕示君はどんなことでも自分が自分がと言い張る。世の中すべてが自分の「おかげ」で回っているとまで言い切ったりする。自分が法律!なのである。もちろん他を認めることはなく、少しでも自分の意に反することは徹底的に踏みつぶす。もう一方の方も自分が法律であることには変わりはなく、始末に負えないのが最後に「でもー」とのたまい、微笑みながらすべてをひっくり返す。顕示君と愛さんが逆の場合ももちろんあるわけで、顕示が女性で愛が男性ともなると、問題はますます複雑になっていくのである。
いずれにしてもそれぞれが己をみつぃめ改めない限り、この二人は永遠に平行線を保っていくのである。なんか身につまされるな――――。私は後者のタイプかな。ところであなたはどっちのタイプ?


人生のベース

ペースではなく「ベース」です。正式な発音はベイスですかね。人が生きていくためには必ず何らかのベースがある。家に基礎があるように、音楽にベースが欠かせないように。ただし人の生き方においては、時代や置かれた環境によってそのベースは変化する。時と場合によって変わっていくものである。
戦時中はまさに戦争がベースであったし、悪代官の下では悪政がベースであったし、バブル期にはバカみたいな好景気がベースであったりと。人個人においては受験やら就職やら結婚なんかもそのベースになったりする。今回の世の中は「コロナ」がベースになったわけで、何も特別なことではない。世の中は常に何らかのベースの上に成り立っているわけで、いつまでも今のベースが続くわけでもなく、次に何がベースになるのかもわからないのである。厄介なのが、そのベースなるものをそう簡単に変える取り除くわけにもいかないのである。では、そのベースに乗っかってしまったら、そこから逃れることができないのかというと、そうではない。変えられないベースの上に立って自分の独自の生き方を構築することは十分可能なことである。自粛で客が来ないと嘆いてばかりいる人もいれば、いろんな工夫をして売り上げを確保している人もいる。つまり思考を変えればどんなしんどいベースであってもその上に立って、生きていく方法はいくらでも見つけることができるのである。
今回のコロナがいい教訓になったと思う。どのように受け止めてどのように対応対処していくのか、それが人間の英知であると思う。もし嘆いてばかりの人がいたら、これを機会に人生の歩き方を大いに変えてみるべきだ。私ももう嘆くのはやめようと思う。ため息を一つつくと幸福が一つ逃げていくというからね!やはり前を向いて一歩一歩、歩いていくしかないんだねー!


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