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音気楽ブログ 社長ブログ

自己顕示君VS自己愛さん

顕示も愛も強すぎると始末に負えない。どうもうまくいかないカップルにはこの取り合わせが多いようだ。方やあらゆる場面で自分を主張するし、もう一方はすべて自分のいいように解釈する。顕示君はどんなことでも自分が自分がと言い張る。世の中すべてが自分の「おかげ」で回っているとまで言い切ったりする。自分が法律!なのである。もちろん他を認めることはなく、少しでも自分の意に反することは徹底的に踏みつぶす。もう一方の方も自分が法律であることには変わりはなく、始末に負えないのが最後に「でもー」とのたまい、微笑みながらすべてをひっくり返す。顕示君と愛さんが逆の場合ももちろんあるわけで、顕示が女性で愛が男性ともなると、問題はますます複雑になっていくのである。
いずれにしてもそれぞれが己をみつぃめ改めない限り、この二人は永遠に平行線を保っていくのである。なんか身につまされるな――――。私は後者のタイプかな。ところであなたはどっちのタイプ?


人生のベース

ペースではなく「ベース」です。正式な発音はベイスですかね。人が生きていくためには必ず何らかのベースがある。家に基礎があるように、音楽にベースが欠かせないように。ただし人の生き方においては、時代や置かれた環境によってそのベースは変化する。時と場合によって変わっていくものである。
戦時中はまさに戦争がベースであったし、悪代官の下では悪政がベースであったし、バブル期にはバカみたいな好景気がベースであったりと。人個人においては受験やら就職やら結婚なんかもそのベースになったりする。今回の世の中は「コロナ」がベースになったわけで、何も特別なことではない。世の中は常に何らかのベースの上に成り立っているわけで、いつまでも今のベースが続くわけでもなく、次に何がベースになるのかもわからないのである。厄介なのが、そのベースなるものをそう簡単に変える取り除くわけにもいかないのである。では、そのベースに乗っかってしまったら、そこから逃れることができないのかというと、そうではない。変えられないベースの上に立って自分の独自の生き方を構築することは十分可能なことである。自粛で客が来ないと嘆いてばかりいる人もいれば、いろんな工夫をして売り上げを確保している人もいる。つまり思考を変えればどんなしんどいベースであってもその上に立って、生きていく方法はいくらでも見つけることができるのである。
今回のコロナがいい教訓になったと思う。どのように受け止めてどのように対応対処していくのか、それが人間の英知であると思う。もし嘆いてばかりの人がいたら、これを機会に人生の歩き方を大いに変えてみるべきだ。私ももう嘆くのはやめようと思う。ため息を一つつくと幸福が一つ逃げていくというからね!やはり前を向いて一歩一歩、歩いていくしかないんだねー!


「よう」と「だろう」

ようとだろうって何だろう。世界のトップを自負する大統領さんと、日本を背負って立っているつもりの首相さんのお得意の言い回しであります。とにかく鼻につく耳障りなこの言い方。「よう」とはどんな時に使われているのかというと、特に北の発言や行動に対してえっらそうに「・・・見てみよう」とのたまう。北が何をしでかすのか、それを見てからこっちの出方を決めるという言い方。偉そうやな――。そしてもう一名、流れるような弁舌に自己陶酔している人物、「・・・だろう」「・・・であろう」が得意中の得意。大事なことに関してすべてこの「だろう」でごまかす。「だ」「です」ではないこの「だろう」。無責任の極みである。私は言い切ってはいない!ではないか?と申し上げただけですと、逃げ道を必ず用意しておく。ほんとにずるいやっちゃなああ。
こんな情けない奴が日本の代表でいいのか、国民の90%がそう思い知らされた今回のコロナ騒ぎ。一時20%台まで下がった奴の支持率がまた盛り返してきているそうな。支持率40%まで回復?なんでや、何がどうしてそうなるんだ?結局、日本人ってそうなんだよな。それでみんないいんだよな。いつまでもまあまあなあなあでやってればいいんだよな。電通万歳!リクルート万歳!自民党ばんざーーーーい!

あなたは「いいの」

今回のように世情が不安に包まれると、ブログのネタが増えるわい。安倍さん・麻生さん・キムさん・トランプさんはもとより、政治家の方々に共通の人格・性格ってーものがございまして。皆さんおそらく母親にあるいは親戚親族に、「あなたはいいの」といわれてそのまんま育っちゃった人たちなんですね。すべてがOKなんです。何を言っても何をやらかしても、必ず誰かが守ってくれる。まあ人殺しとまでは言わないが、直接手を下さなくてもそれに近いようなことを(精神的に追い込んだりして、パワハラというんですか)平然とやってのける。あの佐川さんという人がそういう輩ですよね。皆さん、金持ちです。お家柄もよろしくって、いわゆるおぼっちゃま・お嬢様。立ち位置なんか最初っから全然違う。食べているものも、吸っている空気ですら別物なんです。そんな奴ら!が国民の目線に立ってなんていくら口で言ったって、結局何にもわかっちゃいない。NHKのヒット中の朝ドラで、テツオがユウイチに言った衝撃的な言葉「おめ―なんか今晩のコメの心配なんかしたことあっか!」。これがすべてを語っております。おめえらなんか給料はいつも通りがっぱしもらって、明日の生活のことなんか心配したことあっか?。貯蓄もたんまり、サイドビジネスでまたまたたんまり。あの安倍の奥さん?なんとかならんか!旦那の評価はその女房を見ればわかる。史上最悪のかみさん。この度も、お母さまが入院してるのを幸いに、ますますエスカレートしていくわがままな振る舞い。ほんとに情けない男だよ。お母さんがいなければなんもできない単なるマザコン野郎。

さんざんいろんなこと言われたり突っ込まれたり報道されたり、普通の神経ではもう耐えられないような状況の中、やつれたり痩せたりもせず。相変わらず平然とのたまう。あの人?以前大腸炎かなんかで引退したんだよね。それがどこでどう立ち直った?これはもう人間の域を超えてます。そのように培養され育ってきたんだから、別の生物と思うしかない。人ではないので人のことなどみじんにもわかるはずがない。そんな国の代表を選んじまったんだからこれはもう全体責任ということだな。最後はあいつと心中かな。

私もおそらくは同類で、「あなたはいいの」という母親の言葉で中学を卒業するまで、何も見ず何も知らず何も考えずに育っちゃった人です。高校以降、それがどんなに恐ろしいことであったかということに気ずくものの、それ以降の対人関係に大きなひずみを起こし、世の中という渦の中でどれほどあえいでいたことか。今まで生きてこられたのは、ただごまかすテクニックがたくさん身についただけのことで、いい年こいていまだにそのトラウマから脱出することができないでいるのである。

「子は天からの授かりもの」、とよく言われておりますが、本当は「天からの預かりもの」なんだということがわかりました。神様からお預かりしたものを、人は自分のものだと思い込んで誤った勝手な育て方をする。最悪なのは「虐待」でありますが、そんなのは問題外。地獄に落ちろ!。自分の思い込みで自分用に育ててしまう親のなんと多いことか。悲劇の始まりはそこにある。そんな育て方をするから、安倍さんのような人でなしになってしまうんだ。  警告!子供はあんたの物じゃない!



偉そうに!

パソコンを筆頭に最新の電気製品や電子機器を流ちょうに扱う。こないだ、ある牛丼ちぇーーん店に入った。ご注文はタッチパネルでと。ううむやな予感。昼少し前だったので、2台あるタッチパネルはどちらも空いていた。なんとなく左の券売機の前に立ち画面を見入る。店内か持ち帰りかに始まり、画面がどんどん進行していく。おすすめセットメニューなんかが出てきたあたりからなんかやーな感じ。セットなんかいらないと機械に言ってみてもなんも答えてくれない。牛丼単品の中盛りが欲しんだけど・・あと温玉も・・・。手元があやふやしてきて、つまり単品の画面が出せない。そうこうしているうちに時計の針は12時を指し、とたん客がわんさか入店してくる。私の後ろに3人4人と並び始める。やばいなー。なんかすぐ後ろの奴から無言の圧力。足元もカタカタなっている。いろんなとこ押したらやっと単品の画面が出た。どれだどれだ・・・指が画面上をさまよう。ええいもう何でもいいや、ポン!他にご注文はございませんか?なんていう表示が出てきたりして、もううるさい!はよチケット出せや!。で、出てくるかと思いきや、お支払方法は?ときやがった。あーもう現金現金、現金や―!ポイントカードはお持ちですか?ないないない!お金を入れてください。はいはい、5百80円かいな、小銭入れから出そうと、いちにいさんしーとか数えていると、真後ろの奴のみならず、その後ろもさらにその後ろも苛立ち始める。その圧力のすごいこと!540円まで入れて、ありゃ小銭じゃたんないじゃん!ええっと、お札おさつ、財布はどこじゃ?確か上着のポケットに・・・。ありゃや車の中においてきちゃった・・・。で、一巻の終わり。そそくさとすごすごと、さげすむような視線の中その場を逃げるように離れ、運転席に乗り込むと思いっきり乱暴に急発進。とうとうその日はお昼抜きと相成ったのでありました。座席についてからお水をもらい、店員さんに注文すれば10秒で済んだことが、なんでこんなことになったか・・・。

とにかく最近の機器の扱いが我々世代(60以上)にとっては、とってもむつかしい。まず生理的に受け付けないので理解が進まない。理解しようという意識が働かない。それでもなんとか最低限のことマスターしようと思って、こうやってブログとやらもやっつけているんだけど、機種が変わったりするともーいけません。さっぱりわからない人になってしまったりする。今後ますます世の中は電化電子化されて、アナログ人間の「生き場」がなくなっていくのであろう。物一つ変えなくなるのであろう。恐ろしや。

ところであんたらデジタル人間に言いたいことありますねん。電球切れました。交換の仕方わからない。ローソクにマッチで火がつけられない。Keyでエンジンかけられない。くぎも打てない、のこぎりもひけない。ハサミも包丁も使えない。自転車も乗れない・・・なんてえことになっていくんだろう。そんな現場を見たとき、仕返ししてやる。そんなこともわからんののか!そんなこともできんんのか!、

**するだけで**しなくても

結構な紙面を使って通販の広告が毎日のように新聞に掲載されている。一面フルに使っているものが多く、相当な費用が掛かっているはずである。健康機器・健康食品・美容関係がビッグ3かな。電気製品もかなりの頻度で登場する。どれもいわゆる「破格」の条件で、とにかく価格が半値近くであるアピールが多い。そりゃあ商売ですから、「さあさあ安いよ安いよ、今だけだよー」は許せるとして、いつも思うのは、いったいこの商品、原価はどのくらいで、いくらくらいが適正価格なのか・・・。半額でも充分もうけがあるに違いないわけで、どだい販売価格なんて販売者が勝手につけているだけで、つまり半値がそもそもの適正価格なのだ。そう思うとなんか興ざめするのではあるが、「はいー半額半額!」とあおられるとつい手が出てしまうこの浅はかな人間の心理。私も半額だーいすきー!。
で、もっと問題なのがそのセールストークで、例えばせり出た醜いおなかを引っ込めるのに「ただつけるだけで」「ただ乗るだけで」何もしなくても一ヶ月でウエスト10センチマイナー――ス!。その成果をビフォア・アフターでしっかり強調。有名人・芸能人などを使っているケースが多く、彼らが親しみを込めた笑顔で「おすすめ」してくる。そりゃあ人間の心理としては「ううむ、良さそうだな―――」ということになるわいな。ただ**するだけであなたは実際何の努力をしなくてOKなんです。そして驚きの効果が!
こんな結構なことないんですけど、「何もしなくても」という表現、やめてもらいたい。何もしなくても、つまり汗水たらさなくても金持ちになれまっせ!といっているようなもんで、特に子供たちが鵜呑みにして、何もしなくなっちゃう。まあほとんどがオートマの時代ですから、やがて、いやすでに、手を汚すことなくなんでもできちゃう、なんでも手に入っちゃうんですよね。ただそういった基盤地盤を作ってくれている人がいるからボタン生活ができるわけで、そこんとこ勘違いしちゃっては困る。物を作ってくれる人、運んでくれる人、売ってくれる人がいるから(彼らはそれこそ汗水たらして働いているんです)あんたが指先だけで生きていけてるんじゃないか!えっなにー!そんな汗水たらすようなことはみんなAIにやらせればいいんだだって!そうだよなー、ほんとそうだよなー。あと5年もしないうちにそうなっていくんだろうなー。もう感覚も感性も感動もいらなくなっちゃうんだろうなー。

物との会話

鍋の煮炊きのぐつぐつ・汽車のシュシュポポ・ドアーのガチャガチャギー・井戸のがっちゃんがっちゃん・炭やマキのはぜるぱちぱちなど、物との会話対話がたくさんあった。会話しながら状況を確認し、調節をしたり修理をしたり楽しんだり、そうやって人間は物と付き合ってきたはずだ。今の世の中、ほとんどが電気による電動による電子による物に成り代わっていく。音がない。振動がない。実感がない。前に立てばドアーが音もなく開き、ハンドルを握ってもエンジン音が聞こえてこない。スウィッチさえ押しておけばやがてすべてが無音で進行し、何事もなく完了している。その工程も過程も見ることもなく感じ取ることすらない。すべてがオートマティックで、人はただ命令するだけ物は勝手に与えられた職務を遂行するだけ。そこには人と物の会話はない。つながりはない。
物にだって心がある。いつも心が痛むのが、原発の後始末を物にやらせる。いやなこと危険なことをすべて物にやらせる。物には感情がないから心配なーいという勝手きわまる感性。それが進行すると植物や動物までもが感情がなーい、ということになっちゃったりする。もっとひどいことになると、子供への虐待なんてえことになったりするんです。

万物にはすべて「心」があるんです。「路傍の石」にも感情があるんです。そうやって、今一度自分の身に周りを見直してみませんか。人生は人が生きていくということは、ボタン一つスウィッチ一つで済ませてはいけないんです。たまにはローソクにマッチで火をつけてみよ!

文明とか文化とか

文明とは・・・と思ったとき即座に思い浮かべるのがあの有名な「文明開化」ですかね。知恵や技術が進み生活が便利で豊かになる状態を文明という。進歩向上を図る人間の営みによって作り出されたものが文化である。学問・芸術・道徳など・・・。文明が発達して文化になるということか。

コンビニ・宅急便などの物理的文化は容易に理解できるし大変ありがたい思いである。パソコン・スマホ・電子調理器・飛行機・新幹線・車なども目に見えるものである限りこれらも理解できるしありがたい。しかしながら「ネット」なるものに「関」しては「感」が追いついていかない。架空とか空想とかおおよそ実態を感じない仮想の中の出来事のようにしか理解が進まない。遅いんです。古いんです。わかってます。それでは実際、ネットを利用していないのかと聞かれると、いやいやとんでもない。大変お世話になっておりますよ、知らないうちにね。ネットでお買い物もします。ホテルの予約もします。いろいろ入力して最後に支払い方法をチェックする。「カード払い」「現金引換え」「振込用紙後払い」などの中からやっぱ躊躇してしまうのが「カード払い」。番号入力のところで手が意識が止まる。で、振込用紙になっちゃうんです。ホテルの予約なんかも、ネット予約したのに確認の電話しちゃうんです。
その辺のところからもう新しい「文化」についていけない。いらない!と怒ってしまう。電話があるんだから電話すりゃあいいじゃん!相手の声が聞こええない=顔が見えないことがものすごい不安なんです。古いんです。いや、古いんでしょうか?何でもかんでも進歩すればいいってえもんじゃあないだろ。それが果たして進歩なのか?あまりにも目まぐるしく変化していく世の中。いいのか悪いのか考える暇もなく突き進んでいく。果たしてこれが文明と呼べるのか、文化として確立していくのか?間違った方向へ突き進んでいることに間違いはない・・・

昔は・・・

またまた出ました、昔は!。
最近とても早起きです。コロナの影響で子供の学校お休み。早朝のうちになにがしかの運動をしようということで、6時に起床ということになった。子供も目覚ましをかけ自主的に起きることが習慣となり、大雨の日を除きほとんど毎日近所の公園に出かける。夜の仕事?のなくなったかみさんもご一緒に!。公園につく前に60段の階段がありそれを2往復。ついてからはボール投げやフリスビーで20分ほど運動。「腹減ったー」と誰かが言うのを合図に帰宅。今までにない実に快適な状況で朝食を迎えることができている。
以前はだらだらと仕方なく布団から出ていきなりTVを付けその音量で徐々に目が覚め・・・みたいな生活であったが、このような状況になりしばらくTVをつけない時間が流れる。無音であることに最初はなんとなく違和感を覚えたものだが、慣れると決して無音ではないことに気が付くのである。
鳥のさえずり、風の音、木々のざわめきなどに気が付いてなんとなくさわやかな気持ちが湧き出てくる。線路際に住んでいるため、電車の音は騒音であるはずなのだが、それすら快く聞こえたりする。人の言うことが素直に耳に入り会話もそれとなく弾んだりする。外の光や風の香までがなんとなく違って感じたりするのである。

昔はそれこそTVなんか限られた家にしかなく、朝はせいぜいラジオから流れてくる音楽くらいの物であったわけで、いわゆる自然の営みの音の中で生活していたのである。自然をとても身近で感じながら、人と人の触れ合いがダイレクトであったように思う。人の気持ちがよくわかったんだと思う。母親は亭主や子供たちのコンディションんを朝の短いふれあいの中で完璧につかんでいたんだと思いう。
まだまだ混迷する状況の中、思いがけず良い経験ができたし、これを今後も習慣にしていきたいと思った。



自分のために

世の中いろんな人がおりまして、お金持ちもいれば貧乏人もいる。金持ちが幸せで貧乏人が不幸で・・なんてえことはもちろん言えません。どのくらいが金持ちでどんくらいが貧乏人で・・ということも言えないんです。基準があいまいで申し訳ないんですけど、いわゆる「あいつ金あるよなー」という感じと「あいつ金ないよなー」みたいな感じで話を進めさせていただきます。この際、世界的な大富豪さんとかは別とさせていただきます。
早い話が、ちょっとした小金持ちみたいな人種のことだと思ってください。月収10万そこそこで、食っていくのにやっとみたいな人が貧乏さんと思ってください。で、その小金持ちなんだけど、年収1000万以上で下手すると2000万とかその上稼いじゃっている方。どんな風に金を使っているか?

小金持ちさんに多いタイプとしては、まず自分のためにかなりお金使っちゃってる人。先日、ロードを走っておりましたら、60がらみのちょいと渋い感じのおっさんが素敵なオープンのスポーツカーの乗っっていらはった。オープンカーだから丸見えで人となりもなんとなくわかる。想うに、一流企業を円満退職して退職金で買っちゃったスポーツカー。なんとなくはずかしいんだけど、ポロシャツの襟立てて運転してますう。横に誰ものってくんないんだよな。かみさん乗っけてもなーーーー。所有したことで自己満足なんだけど、もっと他に金の使い道なかったんかいなーー。しばらくして道路沿いの」「吉野家」に入っていった。なんかさみしいなあ。男はだいたいこのような趣味の領域に金を使ってしまう。したがって満足するのは自分だけで終わりひんしゅくを買う羽目になったりする。女性の場合は美容や服飾に惜しみなく金をつぎ込む。これも自己満足で誰の評価も得ることはおそらくはない。
もう一つのタイプは、自分と人とのためにお金を使う人である。交流の場を設けたり、ボランティア活動をしたり、寄付をしたり、世の役に立つ事業を起こしてみたりと、必ず誰かと何かとかかわりを持つためにある意味の「投資」に使うのである。こういう使い方のできる人は、さらに人生が豊かになっていく人である。
前者は失う生き方、後者は得る生き方。ちょっとお金に余裕のある方、あなたの使い方は?  私は余裕がないので一生懸命生きていくだけです!!!!!。


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