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農耕民族と狩猟民族

コロナ騒ぎにおいて、「安倍」さんの対応につきとにかく遅い!と非難ごうごうであります。決断もあいまいで、挙句の果てにその後の対策は丸投げ。あいまいな言い方は今に始まったことではなく、とにかく突っつかれないように逃げ腰で発言するもんですから、さらにぼろが出る。ご本人は的確な返答をしているつもりらしいが、国会中継など見ているほうがつらい痛い。よく出てくる言い訳が「検討している」でありますが、今回の問題も悠長に検討してる場合じゃないことのほうが多くて、誠に歯がゆいというか見苦しい弁解である。
しょせん日本人のDNAは農耕民族であって、のんびり構えていてもなんとかなることのほうが多いわけで、緊急とかいう危機感は欠如しているのである。比べて、ヨーロッパもアメリカも元々は狩猟民族であって、目の前の獲物をとらないと死活問題となるが故、「検討」している暇などないのである。その場で即決、実行なのである。この違いは大きい。これからの時代、悠長なことを言っていたのでは生き残っていけないのであって、そういうことすらあの方たちは気が付いていない、いやわかっちゃいるけど「おらはまだだいじょうぶだーー」なのである。時代の流れは急速に変化しているのにも関わらず、あの人たちは楽観から抜け出せない、ぬるま湯から出られないのである。そんな人たちに大事な未来を託すことはできないわけで、とにかく対策はDo it myselfなのである。大体人に頼りすぎまかせすぎなんですよ、日本人は。目を覚ませ日本人!

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当たり前・・・・の続き

当たり前に「である」こともあたり前に「でない」ことも、当たり前なのである。そう思えばなんてえことはないのである。世の中の動きや流れはすべてこの「である」ことが前提のなってしまったようで、いつからそうなった?パソコンと原子力が登場してきてからだと思われる。いや、もっとさかのぼれば電気・電力が登場してからのことかな・・・。
目に見えない力・働き。それが電気・電力である。(あのさ、電気は光ってんだから見えるんじゃんとか次元の低いことで突っ込むなよ)まさにスウィッチス一つで簡単に手に入る便利物で、努力とか工夫とかとは無縁のものである。すべてが指先の操作だけでとんでもないものが簡単に手に入る。本来なら到底得ることのできないような難解なものが、何の努力もなく手に入る。自分の実力だと錯覚する。したがって実力以上のことを考えたりしでかしたりするのである。
摩擦で火を起こしていた時代に、人間は自分をよく理解していたし、自然界のルールを破壊することはしなかった。何も原始時代に戻ろうといっているのではない。まずそれは不可能なことだし、その必要もないのだろうし。だが、このままいい気になっていると行き着く先は破滅であることは間違いない。3歩進んで2歩下がる。なんてすばらしい言葉。前進することはよいことだが、ちょっと下がって観察する、反省することが大事なのである。今や人々は突っ走っていくのみである。そんな状態で物事がきちんと見えることもないし、考える時間もないのである。
当たり前とは何なのか、どうしたら当たり前が当たり前でいられるのか、世界人類にとっての大きな課題である。

当たり前であることの・・・

コロナ!なにおか言わんである。9年前の大震災で多くの人が「当たり前」を失った。その事実が風化しようとしている状況にまるで喝を入れるようにこの騒ぎ。これは「天誅」である。まさに神の怒りである。やりたい放題のおごり高ぶった人類への怒りであり天罰が下されたのである。WHOだか何だか知らないが、あの能天気な事務局長の発言は無責任そのもの。たいしたことではないとうそぶいていたかと思うと状況の変化に合わせて、カメレオンのように発言が変わっていく。(カメレオンさん失礼)。あきれるばかりである。挙句の果てに対策は「検査検査検査!」と言い放ったらしい。所詮、組織のお偉いさんなんてえのはそんなもんだと、改めて思い知らされる。

安倍さんの判断がどうのこうのではない。もちろん国を預かるトップである以上責任を問われるのはやむをえないところだが、しょせん一人の人間であり、能力にも限界があり、まさか全知全能の神であるはずはないのだから(案外あの方は自分がそう思っているふしはある)すべてをゆだねることなどできるはずはない。この度はまさに個がそれぞれの知恵と判断で乗り切っていくしかないのである。他力本願では何も解決しない。いつに間にかこの世の中はこの他力本願が当たり前になっていて、いやなことはすべて金で解決、人任せ。人間は自分の力で踏ん張り前へ進んでいかなければいけなかったはずである。自力本願が基本であったはずである。現代の人類はそのように頽廃してしまった。挙句の果てである。

非難を浴びることを覚悟で申し上げる。コロナをありがたく受け止め、真摯に向き合い、自分の在り方を改めるときである。今がまさにその時である!

水面下

見えないところで様々なことがおこっている。ある日突然実態が明らかになり、驚かされることが多くなった。北極の氷が解けていろんなものが露呈するように、今やあらゆるも物や事がさらけ出されていく。北海道に住んでいたころ(もう50年も前のことだが)冬に積もった雪が3月の声を聴くころから解け始める。すると今まで隠れていた隠されていたものが次々と姿を現す。みかんの皮、犬のふん、なくしてしまった毛袋、隠したつもりの0点のテスト・・・・・。いまや世の中の悪事がどんどん露呈してきて、それを抑え込むことがむつかしくなってきた。怖いのは人間で、そうやって露呈しばれてしまったことに対して、開き直るのである。反省や詫びる気持ちなどみじんにもなく、「だからどーした!」と開き直り正当化する。自然現象や動物はそういうことはしない。人間の犠牲になっているにもかかわらず、恨み言一つ言わずに流れを受け入れる。
人間とはなんと罪深い生き物であろうか。国のトップであるやつらの生き方を見ていると、人間の悪行はなくならないのであろう。

水面下といえば、突然道路ができている。高速を走っているとなんか見慣れない看板、景色が突然現れる。昨日までなかった道路が忽然と姿を現す。どっちへ行ったらいいのか迷っている暇はない。そちらのほうへ行っちゃってみると、なんと全工程が地下だったりする。気が付かないはずである。見知らぬ場所へポッコリと出されて、はて?ここはどこかいな・・・・。新たに道路作ってたなんて知らんかったーーーー。良いことが水面下であればよいのだが、どうやら悪いことのほうが圧倒的に多いようである。だまされたらいかん!

嘘偽りは

嘘や偽りが蔓延しております。「嘘をついたいかん」と親に何回も言われ、それでも嘘をついたりごまかしたりをしてその場をしのぎ、後で必ずばれる。いまだにみじめな思いがよみがえったりする。我が子に「絶対に嘘をついたいかん」と言いながら、いまだに自分への戒めにもしている私です。なんで人間はうそをつくのか。自分にとって安楽なほうへ逃げたがるのが人間の性。
スパイラル現象の極みで、些細な嘘がやがてはとんでもないおおきさに膨らんで収拾がつかなくなる。おそらくみんなそういう経験をしてきているはずなのに、なぜかちょっとやってしまう。すぐに改めればなんということはない「笑い」で済んでしまうことが、やがて巨大な渦になってい襲い掛かってくる。ぼやが大火事になる。

安物の洋服やアクセサリーで着飾ってみても、薄毛をいろんな方法でカバーしてみても、軽自動車にターボを積んでみても、少ない知識で偉そうなことを言ってみても、できもしない技を繰り出してかっこつけてみても、がばがばお顔にぬったくってみても、安物のスピーカーで音量だけ上げてみても、即席のだしで煮物をしてみても、政治家が偉そうにおべんちゃらを言ってみても・・・・・。やがてメッキがはがれていくのである。

ところが実際の世の中は「ゴーン」や「詐欺師」や「人殺し」が高笑いする、限りない嘘やごまかしやご都合主義であふれかえている。そんな社会に足を踏み入れる「新成人」がいかにもかわいそうである。20年間かけて培ってきた純粋な思いがそこでくじかれるのである。学校で教わったことや親から言われてきたことが意味をなさなくなるようなあきらめと失望の社会。毎年この成人の日を迎えるにあたり、一社会人として情けない思い、無力感に襲われる。迎える若者たちの「記念日」ではあるが、合わせてすでに大人になったばか者たちの「猛省の日」とすべきだある。悔い改めよ!大人たち!ちゃんと鏡を見よ!お前たち(私も含めて)は醜い!

清く正しく美しく、明るく元気よく!これしか世の中を救う道はない1



なんでも出しゃあ・・・の続き

成長する、大人になるってえことはよ、うまく隠す・ぼかす技を身につけるってえことだよ。生まれたばっかりの赤ん坊は、それこそ丸出しだ。何も隠さないしその必要もない。成長するにしたがって自分の能力や見かけなんかを意識するようになる。さらに自分の性を意識するようになったりしていろんなことを隠すようになるんだ。そういった意味での隠す行為は決して間違っているのではなくむしろ必要なことであって、そういう意識が芽生えないとすると逆にやばいことになったりする。隠すということは人間が人間らしい尊厳を保つために必要な行為である。動物を見よ!はばかることなく平気で排泄したり生殖行為をしたりするではないか。洋服など着ないではないか。
アダムとイブの話に戻ってみれば、それこそ人間が恥ずかしいと意識を持ち出した始まりであるわけで、それゆえ「神の領域」であったり「神秘的」であったり「謎めいたこと」であったり「ベールに包まれた」という表現が生まれたりしたわけだ。細やかな神経を使ってテクニックを使ってうまく隠してきたことをことごとくぶち壊していく。むき出しにして「どうだーーーーー」と喚き散らす。そういうことを女性が率先してやり始めた。スカートをまくって股をおっぴろげるような行為を平気でしやがる。禁句といわれてきたことを平気で口にする。
何でもかんでもおおぴらにすればいいのではない。陰湿な隠し(隠匿)を進めているわけではない。しまっておいたほうがいいものだって世の中にはたくさんあるんだ。その辺の感性が喪失して何でもかんでも露出する人々。それが斬新なことだと思っている。彼らはもはや人間の尊厳を見失った動物である。イやそれ以下の生き物になり下がったのだ。芋虫にでもなったほうがいい!なってしまえ!いやもうなっているぞ!

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