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自分法律の人

自分法律の人増えましたなー。言わずもがな、代表選手はあの「あべ・・」。・・でありますから・・であります。それには当たりません。などと世の中すべてが自分基準。自分を正当化するために次から次へと基準を変え法律さえも変へ、自分が正しいと平然とのたまう。並みの神経ではない。イや神経などというものを持ち合わせていないのだろう。そういった大人が世界的にもどんどん増えて、著名人・知識人・国家の重要人などがみんな揃って「自分法律の人」になってしまった。
WHOの大バカ者のT・英国の首相顧問・北朝鮮のK・有名ジャーナリストのT・アメリカのT・なんかTが多いな!他たくさんの「偉い人」がえらいことになっている。恥も外聞もない。人を国を地球を守らなければいけない人たちが、率先して自分だけを守る。おらがおらを守って何が悪い!まさに開き直り以外の何物でもない。自分の腹を大いに満たすために子には少しもご飯をやらない。俺は自分の稼ぎで自分の好きなもの食ってんだ、なんかモンクあっか?と子供に向かって平然と言い放つ。それにしても国会議員の誰一人として、自分らの給料を返上しますと言わんなー。与党ならずも野党のやつらも言わんなー。どいつもこいつもえらそうなこと言ってたって、やっぱ自分が一番かわいいんだな。
ま、こんな奴らが大人をやってんだから子がまともに育つわけがない。冷めるか開き直るか悪の道へ落ちるか・・・。早い話がもう大人なんか信用するに値しないということだ。大人になるということは悪事を平然とやることができるということだ。子供たちよ、今や見本になるような大人はいないと思へ!反面教師がたくさんいると思ったほうがいい。今の大人のようになってはいかん。常に「批判」の目を意識をもって生きよ!
こんな言い方しかできない大人の私。恥ずかしい。

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自分のために

世の中いろんな人がおりまして、お金持ちもいれば貧乏人もいる。金持ちが幸せで貧乏人が不幸で・・なんてえことはもちろん言えません。どのくらいが金持ちでどんくらいが貧乏人で・・ということも言えないんです。基準があいまいで申し訳ないんですけど、いわゆる「あいつ金あるよなー」という感じと「あいつ金ないよなー」みたいな感じで話を進めさせていただきます。この際、世界的な大富豪さんとかは別とさせていただきます。
早い話が、ちょっとした小金持ちみたいな人種のことだと思ってください。月収10万そこそこで、食っていくのにやっとみたいな人が貧乏さんと思ってください。で、その小金持ちなんだけど、年収1000万以上で下手すると2000万とかその上稼いじゃっている方。どんな風に金を使っているか?

小金持ちさんに多いタイプとしては、まず自分のためにかなりお金使っちゃってる人。先日、ロードを走っておりましたら、60がらみのちょいと渋い感じのおっさんが素敵なオープンのスポーツカーの乗っっていらはった。オープンカーだから丸見えで人となりもなんとなくわかる。想うに、一流企業を円満退職して退職金で買っちゃったスポーツカー。なんとなくはずかしいんだけど、ポロシャツの襟立てて運転してますう。横に誰ものってくんないんだよな。かみさん乗っけてもなーーーー。所有したことで自己満足なんだけど、もっと他に金の使い道なかったんかいなーー。しばらくして道路沿いの」「吉野家」に入っていった。なんかさみしいなあ。男はだいたいこのような趣味の領域に金を使ってしまう。したがって満足するのは自分だけで終わりひんしゅくを買う羽目になったりする。女性の場合は美容や服飾に惜しみなく金をつぎ込む。これも自己満足で誰の評価も得ることはおそらくはない。
もう一つのタイプは、自分と人とのためにお金を使う人である。交流の場を設けたり、ボランティア活動をしたり、寄付をしたり、世の役に立つ事業を起こしてみたりと、必ず誰かと何かとかかわりを持つためにある意味の「投資」に使うのである。こういう使い方のできる人は、さらに人生が豊かになっていく人である。
前者は失う生き方、後者は得る生き方。ちょっとお金に余裕のある方、あなたの使い方は?  私は余裕がないので一生懸命生きていくだけです!!!!!。


渦中の人

渦中の人(カチューシャ?)なんちゃったりして。は、とにかく馬車馬のごとく周りが見えない。前へ前へ突き進む。そのうちドツボのはまってグールグル。
私共の音楽教室にここのところ毎日のように、ピアノの練習に来られる方がいらっしゃいます。生徒さんではないんですが、お友達にプレゼントする曲を録音したくて、まずは練習、練習、練習。そして録音するとどっか間違える。また練習、練習練習。そしてミス、ミスミス。あーなんだかんだ言いながら今日もすでに1時間経過。ちょっと休憩すれば?とも思うんですけど、ちょっと覗いてみると目が見開いて眉間にしわまでよって、口角下がって・・・。とてもお声をかけられるような状態ではありません。
他人事ならず、わたくしもそうなっちゃうことが大いにあります。他から見てると「あーあ、またやってるし―。」と笑っちゃうんですけど、党の本人はそうはいかない。もうどうにも止まらないんです。解決法は、「あきらめる」です。一旦引いて別なことやる。別な曲弾いてみる。意識をそらす。解放してあげる。いわゆる「リセット」ですかね。パソコンも時々固まる。解決法は「電源落とす」ですよね。

コロナコロナでここまで来ちゃいましたけど、なんかすべてが「コロナベース」になっている。ここらでいったんベースを変えましょう。
リセットーーーーーーーーーーーー!

応援

「応援、よろしくお願いしまーす!」と、自ら要求する。そんなコメントが当たり前のようにアスリートなどから聞かれるようになって久しい。当初はなんだかえらくわがままな要求やなーと思って、抵抗があったもんです。応援とはそもそもするほうが自主的にやるものであって、要求されたからするというものではなかったはずである。それを自ら「みなさーん、おうえんしてよねー」なんて堂々というもんですから、恥ずかしくないんかいと思っておりました。応援とは必然の中から生まれるものだと思っておりましたよ。案外、いろいろな選挙演説の中でのある言い方が発端なのかもしれない。恥も外聞もなく彼らは自分の当選を願って「応援よろしく!」と叫ぶ。それがあらゆるところで簡単に使われるようになったのかもしれない。
応援そのものは決して悪いことではなく、むしろ人生にはこの「応援」が不可欠である。応援とは相手を認めるということ。相手を評価して認めるということ。そんな応援があるからこそ受けたほうは前に進めるんです。実力以上の力が出るんですね。私は図らずもPTAの会長になってから、事あるごとに子供たちはもとよりすべての人たちに「フレーフレー」とエールを送っております。「フレーフレー」おじさんというあだ名がついたくらいです。
すべての人に、こんな時だからこそエールを送ります。「フレーフレー人類!フレッフレッ人類――――!」


現行犯逮捕?

路上に横たわっていた女性を、誤って轢いてしまった。車に衝突され女性は頭を強く打っており、搬送先の病院で亡くなった。運転していた50歳の男性が「現行犯」で逮捕された。男性は「容疑」を認めている。しかし、その女性は「先に路上に倒れており、頭から血を流していた「」という目撃証言があり。
この記事を読んでぞっとした。日頃頻繁にうんてんしている私にとっては、他人事ではない。そう思ってる人、たくさんいるはずです。なんで横たわってる人轢いてしまうと「逮捕」なんだ?なんでそれが「容疑」という表現になるんだ?そもそも道路に横たわっているほうがおかしいのに、そういう可能性も踏まえたうえで、慎重に運転しなければいけない!と、偉そうに道交法を掲げて言い張るお巡りさん。冗談じゃないぜ!それでなくてもあっちゃこっちゃ注意を払ってどえらい思いして運転しているのに、路上ばっか見ていられるかってんだ。ネコさんやカラスさんが路上で伸びていることがある。気の毒ではあるが発見が遅れて復轢きしてしまうことがある。50キロ60キロのスピードが出ていれば間に合わないことだってある。ひいちゃったものはしょうがないじゃないかといってるのではない。突然路上になんか落ちていれば、間に合わないことだってあるんだ。
この男性ドライバーだって、好き好んで轢いたわけじゃない。ドライバーにとって、発見するのに一番不利な路上の障害。それを誤って轢いてしまった。それが何で「逮捕」なんだ。逃げたのならいざ知らず・・・・。「容疑」とは何だ!完全に犯罪者扱い。こんな仕打ちを受けるのはまっぴらごめんだ。私の身に降りかからないとは言えない。もう運転するのなんかやめたいよ!何でもかんでも歩行者優先じゃないでしょ!ましてや今回の場合は歩行者ならぬ「横たわる人」なんですから・・・・

けど人

あなたの周りにも必ずいる「けど人」。もしかしたらあなた自身がそうなのかもしれない。

何かというとそのたびに「けど!」という。言わないと気が済まない。言われていることがわかっているくせに、とにかく「けど」というんです。認めているくせに「けど」というんです。同じような人種に「それって人」というのもいます。言われたことを必ず自分語に直す。相手の言ったことを素直に認めるのがよっぽど嫌で、「それって」つまりあなたの言いたいことってこういうことでしょう!と、自分語でさも自分が発したように言い換える。負けず嫌いというかいやそうじゃない、すなおじゃないんだなー。常に自分が優位な立ち位置にいたいんですねー。いわゆる女王様タイプの人がそうですねー。
なぜそうなるかといいますと、自信がないんです。認められたことがないんです。成功体験がないんです。なぜそうなるのかといいますと、育てられた環境でそうなっちゃうんです。親が子供を認めない。誉めない。この「誉めない」が一番の問題です。どんな些細なことでも褒められると、人間はうれしいんです。認められた!と自信を持つんです。それが成功へつながっていく。ところが度量の狭い親(現代の親はほとんどがこの狭い親です)に育てられると、子供の気持ちが満たされない。物がいくら豊富でも気持ちの入れ物は空っぽ。そこでそれを埋めようとして、無理やり自説を唱え、認められようとする。自分で自分の満たされない穴を埋める。お粗末な材料で埋めるためにますます空虚感が広がる。まさに悪循環であります。

子供に限ったことではなく、人間関係、すべて「誉める」であります。これさえやっておけば、これがスタートとなってすべての人間関係はうまくいく。みなさーん、ほめあいましょう。まずは身近な、ほら目の前にいる人を誉めんかい!子供でも旦那でも友達でも犬でも猫でも、なんでも誉める。

「誉め褒め教」教祖  鈴木康弘

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