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**するだけで**しなくても

結構な紙面を使って通販の広告が毎日のように新聞に掲載されている。一面フルに使っているものが多く、相当な費用が掛かっているはずである。健康機器・健康食品・美容関係がビッグ3かな。電気製品もかなりの頻度で登場する。どれもいわゆる「破格」の条件で、とにかく価格が半値近くであるアピールが多い。そりゃあ商売ですから、「さあさあ安いよ安いよ、今だけだよー」は許せるとして、いつも思うのは、いったいこの商品、原価はどのくらいで、いくらくらいが適正価格なのか・・・。半額でも充分もうけがあるに違いないわけで、どだい販売価格なんて販売者が勝手につけているだけで、つまり半値がそもそもの適正価格なのだ。そう思うとなんか興ざめするのではあるが、「はいー半額半額!」とあおられるとつい手が出てしまうこの浅はかな人間の心理。私も半額だーいすきー!。
で、もっと問題なのがそのセールストークで、例えばせり出た醜いおなかを引っ込めるのに「ただつけるだけで」「ただ乗るだけで」何もしなくても一ヶ月でウエスト10センチマイナー――ス!。その成果をビフォア・アフターでしっかり強調。有名人・芸能人などを使っているケースが多く、彼らが親しみを込めた笑顔で「おすすめ」してくる。そりゃあ人間の心理としては「ううむ、良さそうだな―――」ということになるわいな。ただ**するだけであなたは実際何の努力をしなくてOKなんです。そして驚きの効果が!
こんな結構なことないんですけど、「何もしなくても」という表現、やめてもらいたい。何もしなくても、つまり汗水たらさなくても金持ちになれまっせ!といっているようなもんで、特に子供たちが鵜呑みにして、何もしなくなっちゃう。まあほとんどがオートマの時代ですから、やがて、いやすでに、手を汚すことなくなんでもできちゃう、なんでも手に入っちゃうんですよね。ただそういった基盤地盤を作ってくれている人がいるからボタン生活ができるわけで、そこんとこ勘違いしちゃっては困る。物を作ってくれる人、運んでくれる人、売ってくれる人がいるから(彼らはそれこそ汗水たらして働いているんです)あんたが指先だけで生きていけてるんじゃないか!えっなにー!そんな汗水たらすようなことはみんなAIにやらせればいいんだだって!そうだよなー、ほんとそうだよなー。あと5年もしないうちにそうなっていくんだろうなー。もう感覚も感性も感動もいらなくなっちゃうんだろうなー。

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物との会話

鍋の煮炊きのぐつぐつ・汽車のシュシュポポ・ドアーのガチャガチャギー・井戸のがっちゃんがっちゃん・炭やマキのはぜるぱちぱちなど、物との会話対話がたくさんあった。会話しながら状況を確認し、調節をしたり修理をしたり楽しんだり、そうやって人間は物と付き合ってきたはずだ。今の世の中、ほとんどが電気による電動による電子による物に成り代わっていく。音がない。振動がない。実感がない。前に立てばドアーが音もなく開き、ハンドルを握ってもエンジン音が聞こえてこない。スウィッチさえ押しておけばやがてすべてが無音で進行し、何事もなく完了している。その工程も過程も見ることもなく感じ取ることすらない。すべてがオートマティックで、人はただ命令するだけ物は勝手に与えられた職務を遂行するだけ。そこには人と物の会話はない。つながりはない。
物にだって心がある。いつも心が痛むのが、原発の後始末を物にやらせる。いやなこと危険なことをすべて物にやらせる。物には感情がないから心配なーいという勝手きわまる感性。それが進行すると植物や動物までもが感情がなーい、ということになっちゃったりする。もっとひどいことになると、子供への虐待なんてえことになったりするんです。

万物にはすべて「心」があるんです。「路傍の石」にも感情があるんです。そうやって、今一度自分の身に周りを見直してみませんか。人生は人が生きていくということは、ボタン一つスウィッチ一つで済ませてはいけないんです。たまにはローソクにマッチで火をつけてみよ!

文明とか文化とか

文明とは・・・と思ったとき即座に思い浮かべるのがあの有名な「文明開化」ですかね。知恵や技術が進み生活が便利で豊かになる状態を文明という。進歩向上を図る人間の営みによって作り出されたものが文化である。学問・芸術・道徳など・・・。文明が発達して文化になるということか。

コンビニ・宅急便などの物理的文化は容易に理解できるし大変ありがたい思いである。パソコン・スマホ・電子調理器・飛行機・新幹線・車なども目に見えるものである限りこれらも理解できるしありがたい。しかしながら「ネット」なるものに「関」しては「感」が追いついていかない。架空とか空想とかおおよそ実態を感じない仮想の中の出来事のようにしか理解が進まない。遅いんです。古いんです。わかってます。それでは実際、ネットを利用していないのかと聞かれると、いやいやとんでもない。大変お世話になっておりますよ、知らないうちにね。ネットでお買い物もします。ホテルの予約もします。いろいろ入力して最後に支払い方法をチェックする。「カード払い」「現金引換え」「振込用紙後払い」などの中からやっぱ躊躇してしまうのが「カード払い」。番号入力のところで手が意識が止まる。で、振込用紙になっちゃうんです。ホテルの予約なんかも、ネット予約したのに確認の電話しちゃうんです。
その辺のところからもう新しい「文化」についていけない。いらない!と怒ってしまう。電話があるんだから電話すりゃあいいじゃん!相手の声が聞こええない=顔が見えないことがものすごい不安なんです。古いんです。いや、古いんでしょうか?何でもかんでも進歩すればいいってえもんじゃあないだろ。それが果たして進歩なのか?あまりにも目まぐるしく変化していく世の中。いいのか悪いのか考える暇もなく突き進んでいく。果たしてこれが文明と呼べるのか、文化として確立していくのか?間違った方向へ突き進んでいることに間違いはない・・・

昔は・・・

またまた出ました、昔は!。
最近とても早起きです。コロナの影響で子供の学校お休み。早朝のうちになにがしかの運動をしようということで、6時に起床ということになった。子供も目覚ましをかけ自主的に起きることが習慣となり、大雨の日を除きほとんど毎日近所の公園に出かける。夜の仕事?のなくなったかみさんもご一緒に!。公園につく前に60段の階段がありそれを2往復。ついてからはボール投げやフリスビーで20分ほど運動。「腹減ったー」と誰かが言うのを合図に帰宅。今までにない実に快適な状況で朝食を迎えることができている。
以前はだらだらと仕方なく布団から出ていきなりTVを付けその音量で徐々に目が覚め・・・みたいな生活であったが、このような状況になりしばらくTVをつけない時間が流れる。無音であることに最初はなんとなく違和感を覚えたものだが、慣れると決して無音ではないことに気が付くのである。
鳥のさえずり、風の音、木々のざわめきなどに気が付いてなんとなくさわやかな気持ちが湧き出てくる。線路際に住んでいるため、電車の音は騒音であるはずなのだが、それすら快く聞こえたりする。人の言うことが素直に耳に入り会話もそれとなく弾んだりする。外の光や風の香までがなんとなく違って感じたりするのである。

昔はそれこそTVなんか限られた家にしかなく、朝はせいぜいラジオから流れてくる音楽くらいの物であったわけで、いわゆる自然の営みの音の中で生活していたのである。自然をとても身近で感じながら、人と人の触れ合いがダイレクトであったように思う。人の気持ちがよくわかったんだと思う。母親は亭主や子供たちのコンディションんを朝の短いふれあいの中で完璧につかんでいたんだと思いう。
まだまだ混迷する状況の中、思いがけず良い経験ができたし、これを今後も習慣にしていきたいと思った。



自分のために

世の中いろんな人がおりまして、お金持ちもいれば貧乏人もいる。金持ちが幸せで貧乏人が不幸で・・なんてえことはもちろん言えません。どのくらいが金持ちでどんくらいが貧乏人で・・ということも言えないんです。基準があいまいで申し訳ないんですけど、いわゆる「あいつ金あるよなー」という感じと「あいつ金ないよなー」みたいな感じで話を進めさせていただきます。この際、世界的な大富豪さんとかは別とさせていただきます。
早い話が、ちょっとした小金持ちみたいな人種のことだと思ってください。月収10万そこそこで、食っていくのにやっとみたいな人が貧乏さんと思ってください。で、その小金持ちなんだけど、年収1000万以上で下手すると2000万とかその上稼いじゃっている方。どんな風に金を使っているか?

小金持ちさんに多いタイプとしては、まず自分のためにかなりお金使っちゃってる人。先日、ロードを走っておりましたら、60がらみのちょいと渋い感じのおっさんが素敵なオープンのスポーツカーの乗っっていらはった。オープンカーだから丸見えで人となりもなんとなくわかる。想うに、一流企業を円満退職して退職金で買っちゃったスポーツカー。なんとなくはずかしいんだけど、ポロシャツの襟立てて運転してますう。横に誰ものってくんないんだよな。かみさん乗っけてもなーーーー。所有したことで自己満足なんだけど、もっと他に金の使い道なかったんかいなーー。しばらくして道路沿いの」「吉野家」に入っていった。なんかさみしいなあ。男はだいたいこのような趣味の領域に金を使ってしまう。したがって満足するのは自分だけで終わりひんしゅくを買う羽目になったりする。女性の場合は美容や服飾に惜しみなく金をつぎ込む。これも自己満足で誰の評価も得ることはおそらくはない。
もう一つのタイプは、自分と人とのためにお金を使う人である。交流の場を設けたり、ボランティア活動をしたり、寄付をしたり、世の役に立つ事業を起こしてみたりと、必ず誰かと何かとかかわりを持つためにある意味の「投資」に使うのである。こういう使い方のできる人は、さらに人生が豊かになっていく人である。
前者は失う生き方、後者は得る生き方。ちょっとお金に余裕のある方、あなたの使い方は?  私は余裕がないので一生懸命生きていくだけです!!!!!。


自分法律の人

自分法律の人増えましたなー。言わずもがな、代表選手はあの「あべ・・」。・・でありますから・・であります。それには当たりません。などと世の中すべてが自分基準。自分を正当化するために次から次へと基準を変え法律さえも変へ、自分が正しいと平然とのたまう。並みの神経ではない。イや神経などというものを持ち合わせていないのだろう。そういった大人が世界的にもどんどん増えて、著名人・知識人・国家の重要人などがみんな揃って「自分法律の人」になってしまった。
WHOの大バカ者のT・英国の首相顧問・北朝鮮のK・有名ジャーナリストのT・アメリカのT・なんかTが多いな!他たくさんの「偉い人」がえらいことになっている。恥も外聞もない。人を国を地球を守らなければいけない人たちが、率先して自分だけを守る。おらがおらを守って何が悪い!まさに開き直り以外の何物でもない。自分の腹を大いに満たすために子には少しもご飯をやらない。俺は自分の稼ぎで自分の好きなもの食ってんだ、なんかモンクあっか?と子供に向かって平然と言い放つ。それにしても国会議員の誰一人として、自分らの給料を返上しますと言わんなー。与党ならずも野党のやつらも言わんなー。どいつもこいつもえらそうなこと言ってたって、やっぱ自分が一番かわいいんだな。
ま、こんな奴らが大人をやってんだから子がまともに育つわけがない。冷めるか開き直るか悪の道へ落ちるか・・・。早い話がもう大人なんか信用するに値しないということだ。大人になるということは悪事を平然とやることができるということだ。子供たちよ、今や見本になるような大人はいないと思へ!反面教師がたくさんいると思ったほうがいい。今の大人のようになってはいかん。常に「批判」の目を意識をもって生きよ!
こんな言い方しかできない大人の私。恥ずかしい。

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