音気楽ブログ

自分とまじめに

どうも日本人は自分とちゃんと向き合っていないような感じがする。特に昭和の中期ころからその傾向が強くなってきたように思いえる。もともと日本人は自分に対して正直だったはずなのだが、高度経済成長に乗っかって人間性に変化が訪れ、差別・区別・見栄・虚勢・競争などの意識が知らず知らずのうちに当たり前になってしまった感がある。遠く江戸時代は日本の文化が最も栄えた時代で、それぞれが立場をわきまえそれぞれに誇りをもって生きていたように思える。そうだ、現代人にはこの「誇り」が欠落しているのだ。プライドという表現で自分自身を大いに勘違いしてる輩のなんと多いことか。確かにプライドという言葉を和訳すると「誇り」と言ことになるのだが、そのプライドという表現の使い方がとてもおかしいのである。イメージとしては、金持ちで高学歴で一流でベンツかBMで奥さんは美人で・・・・てなところか。
確かに世界の大国と肩を並べるような位置になったことは間違いないのだが、物質文化だけが先行し、いわゆる精神文化がついてきていないのである。むしろ後退しているようにも思える。以前にも述べてが、技術点ばかりが先行し芸術点が追いついていかない。芸術点とは何かということがわかっていないようにも思える。
日本人はシャイな民族だとよく言われる。シャイ=恥ずかしがりや・照れ屋・自己表現が下手。良い意味で解釈してもらえればいいのだが、なかなかそうとも言えず、何を考えているのかわからんとかなんで自分を卑下するのか、誠に不思議な民族と思われていることは否定できないし、現在に至っても根本は変わっていないように思える。
自己主張がちゃんとできない民族。それはつまるところ、自分とまじめに付き合っていないからであって、自分自身に対してもまあまあなあなあでいるからなんだと思う。よく外人が強烈に自己主張をしている場面を見かけるが、彼らは自分が信じたことはあくまでも曲げることがない。つまり自分を信じている、まじめに付き合っているからなのである。それゆえ、彼らは意見というものを実にはっきりと述べる。Thinkの解釈が「考える」であって「おもう」ではない。そう考える!のではなく、日本人はそう思いますう・・・なのである。
3歳くらいまではストレート、ダイレクトであったはずなのに成長するにしたがって遠回しになっていく。嘘つきになっていくのである。自分とまじめに付き合っている人は正直で自分をごまかさない。それゆえ誤解されることも多いのだが、やがて彼らは「本物」になっていくのである。自分をごまかして70年近く生きてきた自分が情けなくもあり、そうとばかりも言ってられない、何とかしようともがいている今日この頃の自分です。