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スーパー人間百景

もむ・おす・ほじくる・なげるなど、商品に対する無礼極まりない行動を目にするのは日常茶飯事。5匹390円のイワシのパックをいくつもいくつも見比べて居座るおばさん。腕を組んだままショーケースをのぞき込んでうろうろするだけの親父。人が買おうとして手を伸ばすと急に侵入してきて妨害するおばさん。入り口でおしゃべり開始、自分たちワールドのおばん。998円を硬化で払おうとしてがまぐちと格闘するおばん。レジに並んでいると「かご」で押してくるおばん。レジで自分の番が来ると、どうでもいいことをやたら係の姉ちゃンに話しかけるおばん。バックが苦手で駐車場内渋滞を引き起こすおばん。などなど。あなたは、私は、どんなタイプなのでしょう?


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最高!しかないのか

国会の政府閣僚の答弁を聞いていると、彼らがやっていることはすべてが「最高」であるらしい。最高最善最良最強最新最多最大最長最短・・・。何でもかんでもさいさいさい。自分たちのやってること間違いなく「最」であると主張する。スペシャルでプレミアムでこれ以上はないという体制で、あらゆることにそれこそ完璧に対応しているといいたいのであろう。野党に突っ込まれると必ずこの「最」を押し出して突っぱねる。私たちは悪くないと。すべては人間のやっていることですから、判断が甘かったり間違えたりすることはある。予想だにしなかった(はやりの想定外ですか)展開となり、大きく舵を切りなおさなくてはならないことだって多々ある。所詮人間の予知能力なんてたかが知れていて、先に何が起こるかなんて神のみぞ知ることであるのに、まるで自分たちが全知全能であるかのような振る舞い言動。頭がどうにかなっちゃっている、精神が壊れちゃっているとしか思えない。間違ったら、素直に「ごめんなさい」といえばいいじゃないか。あんたら子供たちには偉そうにそう言っているじゃないか。大人になったら言わなくていいのか、国会議員は言わなくていいのか。特に最高責任者の「Yshi」とかいう人、毎回毎回、とぼけた的外れな答弁を繰り返し(あれも作戦なのだろうね。そうじゃなかったらあの人バカとしか言いようがない)極めつけは申し訳ないとしか言えないのか。申し訳ないが「脳死わけない」と聞こえてくる。ほんとに脳が死んでるとしか思えん。
いろいろな分野で日本という国は優秀な技術・頭脳を持った先進国であることは間違いないが、あの国会議員たちを見ていると先が不安でいっぱいになる。相変わらず居眠りをしたり、毎回違った変なマスクをしてきたり、発言している議員をバカにしたような目線で見たり、しょっちゅうトイレに行ったり、ほとんどが雁首揃えているだけでなんの役にも立っていないやつばかり。いっちょ前に給料もらって、喘いでいる人のことなんか、奴らにはわかるはずがない。国会の在り方を世界の人たちに見せられるのか?小学生の社会見学に取り入れてはどうか。中高大学生の傍聴席を作るべきである。ドイツの議会を見習って、議員全員、ボランティアでやれ!そうすると誰もやらなくなるんだろうなあ・・・・やっぱし金と権力のためなのか・・・先生と呼ばれたいんだろうなあ・・・。

また、元に戻れたら

元に戻るなんてえことはありません。このご時世、「元の平和な世の中に戻ることを祈って・・・」なんてえ言い方をあちこちで耳にしますが、時間はとどまることなくもちろん戻ることなんてありえない。あの頃に戻れたら・・・なんてえのも同じことで、あんたが若返るなんてえことはあり得ないんです。今がだめだから、神が怒って「変えろ、変われ」とおっしゃっているわけで、元に戻ってはいけないのである。」先を見て歩を進めていくしかない。後戻りをしてはいけない、できないのが人生なんです。
すべての物には寿命があって、やがて地球も太陽も滅亡・消滅する時が来る。自分に与えられたほんのちょっとの時間を、一生懸命、前を向いて進んでいくしかないのである。それが人生ってえものなのさ!元に戻って・・・なんてえのは人間のエゴ以外の何物でもない!

目くそ鼻くそを・・・

ご無沙汰です。いきなりこ汚い表題で失礼申し上げます。 この「目くそ鼻くそを・・・」とはみなさんご存じの通りでございまして、まあ程度の低い次元で、相手のことをバカにするという、なんともみっともない情けない状況ではあります。年齢を重ねますとこの傾向が進行いたしまして、超くだらないことで相手と、あるいは社会と張り合うことが多くなっていくのであります。TVに向かっていちゃもんつけるなんてえのも年取った証拠・・・。 
で、その「笑う」がねじ曲がっていくと「ほめる・おだてる」とおなぐさみになっていくわけで、こりゃあ始末に負えない。目くそが鼻くそを誉める、おだてる。いやーなんとも不気味。誰もほめてくれないから「目くそ」が「鼻くそ」を誉める。誉めたくないのにお慰みで誉める。こういう状況にはなりたくない。いつまでも相手をバカにして、おいらは突っ張って生きていくんでい!目くそで結構、鼻くそで結構。くそだってそれなりに意味・意義・価値があるんだい!

本音と建て前

完璧・最高・至高・極上・プレミアム・スペシャル・あなただけのという言葉に飾られて、商品やらサービスが押し寄せてくる。誰のために何のためになのか、必要なことなのか。極めつけを追い求めればきりがない。あらゆる科学技術の発達で、それに伴ってそれらが具現化されていくことは容易なのである。まさに不可能という文字はあり得ない世の中になった。夢のような素晴らしい展開なのかもしれない。が反面、同党の相当な犠牲が伴うのである。その犠牲の上に成り立っていることを忘れてはおけない。

自分とまじめに

どうも日本人は自分とちゃんと向き合っていないような感じがする。特に昭和の中期ころからその傾向が強くなってきたように思いえる。もともと日本人は自分に対して正直だったはずなのだが、高度経済成長に乗っかって人間性に変化が訪れ、差別・区別・見栄・虚勢・競争などの意識が知らず知らずのうちに当たり前になってしまった感がある。遠く江戸時代は日本の文化が最も栄えた時代で、それぞれが立場をわきまえそれぞれに誇りをもって生きていたように思える。そうだ、現代人にはこの「誇り」が欠落しているのだ。プライドという表現で自分自身を大いに勘違いしてる輩のなんと多いことか。確かにプライドという言葉を和訳すると「誇り」と言ことになるのだが、そのプライドという表現の使い方がとてもおかしいのである。イメージとしては、金持ちで高学歴で一流でベンツかBMで奥さんは美人で・・・・てなところか。
確かに世界の大国と肩を並べるような位置になったことは間違いないのだが、物質文化だけが先行し、いわゆる精神文化がついてきていないのである。むしろ後退しているようにも思える。以前にも述べてが、技術点ばかりが先行し芸術点が追いついていかない。芸術点とは何かということがわかっていないようにも思える。
日本人はシャイな民族だとよく言われる。シャイ=恥ずかしがりや・照れ屋・自己表現が下手。良い意味で解釈してもらえればいいのだが、なかなかそうとも言えず、何を考えているのかわからんとかなんで自分を卑下するのか、誠に不思議な民族と思われていることは否定できないし、現在に至っても根本は変わっていないように思える。
自己主張がちゃんとできない民族。それはつまるところ、自分とまじめに付き合っていないからであって、自分自身に対してもまあまあなあなあでいるからなんだと思う。よく外人が強烈に自己主張をしている場面を見かけるが、彼らは自分が信じたことはあくまでも曲げることがない。つまり自分を信じている、まじめに付き合っているからなのである。それゆえ、彼らは意見というものを実にはっきりと述べる。Thinkの解釈が「考える」であって「おもう」ではない。そう考える!のではなく、日本人はそう思いますう・・・なのである。
3歳くらいまではストレート、ダイレクトであったはずなのに成長するにしたがって遠回しになっていく。嘘つきになっていくのである。自分とまじめに付き合っている人は正直で自分をごまかさない。それゆえ誤解されることも多いのだが、やがて彼らは「本物」になっていくのである。自分をごまかして70年近く生きてきた自分が情けなくもあり、そうとばかりも言ってられない、何とかしようともがいている今日この頃の自分です。

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