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限界を超えた

道路上はまさに「象」と「蟻」の同居のような状態。20トンとか30トンとかいうバカでかいトラックから50ccの原付や自転車まで、同じ路上を走っている。これ自体がまずは異常な事であって、そんな中で事故が起こらないわけがない。車の大きさも重さも性能も異なり、運転者の年齢も経験も技能も性格も異なり、目的も異なり・・・全てが異なっている状態で同じものを共有するってどういうこと?

この度の京浜急行電車とトラックの衝突事故。何で起こったのかは皆さんがよく御存じだと思いますのであえて説明は省きますが、対応していた電鉄社員にかなり問題があるようなことが本日の新聞に載っておりました。どうもこの2名の社員、5分も前からトラックに関わって対応していたとのことですが、なんで結果的にこのようなことになったのか。素人じゃあるまいし、さっさと非常停止ボタンを押していればこんなことにならなかった。「何とかなる」「なんとかしなければ」という気持ちが優先して、当然とるべき行動を見送った結果。ボタンを押せば運航に支障がでて、怒られる責任問題になる罰せられる・・・。先生に怒られる、親に叱られるみたいな感情がよぎったんだと思われます。成長し切れてない見かけ倒しの大人。マニュアル通りにしか動けない、臨機応変のできない半大人。そして運転士も信号を見落としていた可能性が大である。これも機械に頼る過信慢心。もちろんトラック運転手に大いなる過失はある。しかしながら今回の事故はこの3名の過失が重なって起きたものである。

で、本題に戻るが、今回の最大に事故原因はトラックの大きさにある。13トンだか15トンだか知らねえが、とにかくでかい重い長い。荷物を満載したら総重量どんだけ―!そんなものを一人の人間が操縦する。そこらへんからもう無理なので在る。以前4トントラック運転したことがあるが、これ普通免許で運転できます。見下ろすような運転席、後ろ長いし真後ろ全然見えない。なんかこのあたりが人間が対応する限界ののように感じた。大型トラック・大型バスは無理なんです。無理を承知で限界を超えた荷物・人を載せて限界を超えた能力で運転している。だからどえらい事故が起こる。

横を20トントラックが通過していく。緊張感が走る。自転車なんか踏みつぶされそう。あんなのに追突でもされたら軽自動車なんかひとたまりもない。後ろから見ていると車軸が折れそうな感じ。タイヤがぶっ飛びそうな感じ。トラック業界などは、どれだけ積めるかを競っているのかもしれないが、一人の人間がコントロールできる能力には限界があるんです。いかに技術的に進んでも人間の感性はそんなに進まない。い色んなことが人間という本来感性で動いているものの限界を超えています。まさにAIにやってもらうしかないのでしょうね。人間は何をすることになるのでしょう。

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車社会の破滅

更に言わせてもらいますと、車社会はもはや崩壊破滅の一途をたどっているんです。さっきも言いましたように一本の路上にあまりにも色んなものが乗っかり過ぎて収拾がつかない。いっぽ間違えれば大事故になる。その一歩がいつでもどこにでもあるんです。交通法規という物がありまして、一応それにのっとって皆さん運転しているようですが、それはあくまでも原則であって実際の路上では原則通りにいかない。そこで臨機応変が要求されるわけですが、技能・能力・経験などでその対応力は違うわけで、それも混乱をもたらす大きな原因である。しかもそこにそれぞれの「体調」「精神状態」などが加わっていくと、これはもうどうにもならないのである。

あの忌まわしい「初心者マーク」「高齢者マーク」はいったい何のために作られたのか。ふざけんじゃねー!初心者だろうが高齢者だろうが、路上に出れば皆同じでないんかい。そうやって甘やかすから事故が起きるんじゃないのかい。何回も言うけど、路上は戦場です。そう言う気構えで行かなければいかないのです。それをなんですか?初心者には優しくしてあげましょうだ?ふざけんじゃねーーーーーー。

もう自動運転化を進めるしかない。自分で運転したいレーンと自動運転レーンを分けるしかない。何ともつまらない世の中になったもんだ。「便利」ということは言いかえれば「つまらない」ということで、そうなったら免許返納してくれてやる!

安易な気持ちで運転しているあんた!路上に出ないでくれ!遊園地でゴーカートにでも乗っていてくれ!

連発と単発

安倍首相、毎日のようになんだかんだTVに登場されているように見えます。もちろんいろいろな事にコメントを出されるわけですが、よくあんだけ流暢に言葉が出てくるもんだと感心いたします。どのような事にも、よどみなく滞ることなく「でありますから、であります」といいきる。
しかもものすごい早口で、機関銃のようにまくしたてる。こちらの理解が追いつかないうちに、結論を言い放つ。あれが作戦なのだろう。男と女が言い合いをすると、内容や正しい正しくないはどっかへ行っちゃって、まくしたてる女が勝みたいなことか・・・。連発銃は恐ろしい。

相反して、二階?幹事長さん。超スローで一言か二言。あまりにも間延びしていて結局何が言いたかったのかこちらもよくわかんねー。単発銃も恐ろしい。

政治家はこのように連発銃、単発銃をうまい具合に使いこなして、国民を煙に巻いていくんだろうね。勉強になります!

有り余るほどの

スーパーへ買い物に行きます。有り余るほどの豊富な品ぞろえ。加工品・日用品は言うまでもなく、生鮮食品・日配物がさっきとれたばかりできたばかり!とでも言うような姿で、整然と並んでいる。目的のものがなかったという記憶があまりない。季節外れの果物なんかも当たり前のようにあったりして、これって本当に売れるのかいな・・・。

閉店間際に駆け込むことがある。後10分もすればシャッターが下りてしまうのに、店内にはまだまだ食品がたくさん残っている。弁当惣菜などは異常な値引きによって残りがわずかだが、野菜・鮮魚・牛乳・ヨーグルト・パンなど日付けを気にする商品が多く残っている。後10分で売り切れるような量ではない。まあ、表示が消費期限となっているために明日も引き続き販売はするのであろうが・・・。

とにかく、目がちかちかするほどの品ぞろえに閉口する。こんなに容易に色んなものが手に入っていいのだろうかと、恐ろしささえ感じる。特に生鮮品はデイリーフーズという扱いで、毎日毎日「新鮮」を売り物にするのであるから、やはり残り物は廃棄される運命になるのであろう。年間の食物廃棄量が世界の相当な上位国で、恐ろしいほどの食品がゴミとなっていく。品ぞろえは増やせば増やすほどそのロスも増えるのである。品揃えが悪ければ客が離れてよそへ行ってしまう。仕方ないから客の小さな要求にもこたえようとして商品が増えていく。たった一人の客のためにでも増やすのである。客なんて―のはいい加減だから、買ったり買わなくなったりそのうち来なくなったり・・・。不良在庫がどんどん増えて、店の利益を圧迫する悪循環。

昔、喫茶店をやっていたことがありました。最初はこだわって「おいしいコーヒー」と「スペシャルカレー」の店であった。そのうち客がサンドイッチはサラダはパフェはフレッシュジュースはホットケーキは・・・・と言い始めて、留まるところを知らない。一人でも多くの客がほしくて客の要求に応えるべく、メニュ―がどんどん増えていった。まさに有り余るほどのめそのためのメニューとなっていった。材料、仕込みもどんどん増えた。しかしそれに見合った注文はこなかった。それらが全てロスとなって、最終的には赤字を出すようになった。これが喫茶店が世の中から消滅していった大きな原因である。

今日本はあらゆることが「有り余って」いる。そこから抜け出るためにますます有り余ったことを上塗りしていく。やがてはその重みと厚みに耐えかねて崩壊する運命にあるのだが、もうどうにも止まらないのである。贅沢をした者は質素には戻れない。地球全体がそのような方向に突き進んでいく。はたしてその成れの果ては・・・

知らぬが・・・

「知らぬが仏」とは・・・知ればそのことで心配もし悩みもするが、知らなければいらぬ心配をして気に病をもむこともなく、心の広い仏のような穏やかな気持ちでいられる。
こんだけ色んな情報があっちゃこっちゃから次から次へと入ってくる。無理やり。腹がいっぱいなのにあれもこれもとどんどん食べ物が押し寄せてくるような感じ。回転すしのようだ。あの回転すしって、実にうまくできているなーって思うんですけど、けっこうお腹いっぱいなのに、目の前に新たなネタが流れてくるとつい手が出てしまう。とにかく腰を上げないと、目が泳いで手が勝手に出てしまう。そして食べ過ぎてげんなりするのである。

TV・ラジオ・新聞・週刊誌・ネットそして噂話。何が真実かもわからない、判断する間もなくに詰め込まれていく。心に落ち込んで胸騒ぎが起こる。TVもネットも情報機関を遮断してしまえばいいのだが、そうすると今度は取り残されたような不安感が増殖して、いてもたってもいられなくなる。挙句の果てに元通り。

よっぽどの山奥にでもひきこもって、流れと関係のない生活を送るしかないのか。そんなこと皆ができるわけじゃなし、先ずは一つ、TVを消そう。誰も見ていないのにつけっぱなしの家のなんと多いことか。習慣になってしまって、ついてないと不安なんだろうねー。麻薬みたいなもんらしい。もちろん情報は大事で無視するわけにはいかない。地震速報など知らなければどえらい目に合うことだってある。70%の人がスマホを持っているらしい?ので必要な情報はスマホで、とりあえず。情報源の整理が必要なんだと考えます。

自分の情報処理能力を疑ってみた方がいい。求める文化から与えられる文化になってしまった現代社会。ベルトコンベアに乗せられて、出かけるのも食事するのも機会がやってくれる。やがて足も手も退化していく・・・そんなアニメ映画がありましたが、本当にそうなるのも間近なのだと感じます。

知ることは大切なことですが、振り分ける力を養わないと、とんでもないところへ流されていきます。情報機関の整理と選択(洗濯)を!

改良、改善、改革

日進月歩どころか、時間単位分単位あるいは秒単位で世の中が変わっていく。レトロな感覚から脱出できないおっさんのたわごとかもしれないが、この変わりようがあまりにも速過ぎて、目の前を瞬間的に通過する新幹線のようで、実態を把握することができない。おそらくこの激流のなかで生きている人達には当たり前の事なのかもしれない。それは改良とか改善とか改革とかの範疇を超えて、激動激変と言い換えた方がいいのかもしれない。改良改革改善には時間がかかったしそこに掛ける時間があった。現代は全てが瞬間であって、それを認識できなければ取り残されるのである。電子レンジで料理するようなもので、鍋に火をかけてじっくり煮込むことが許されないような感覚。

ファストフードが世の中を席巻して久しい。客席に座って「牛・・」と言ったとたんに目の前に牛丼が置かれている。3~4分の猛スピードでかっ込んで、スマホで瞬間的支払。便利だなー。時間が相当節約になったなー。が、その儲かった時間を何にどのように何のために使うのだろう。
次の行動も全て時短優先。時間が時間がと自分をせっついて自分を急き立てる。あんたはそんなに忙しいのか、忙しくないと気が済まないのである。「ぼーっと生きてんじゃねーよ!」と煽られて、とにかく何かしていないと申しわけないような気になるらしい。しょっちゅうスマホを弄り回している姿を見ていると空恐ろしくさえなる。この人たちは自分をどうしたいのだろう・・・。忙しいふりをしているだけでしょ。

時間をかけない改革は必ずや曲がる、しおれる、倒れる。色が変わっただけで本質がついていかない。いやそもそも本質がないのかもしれない。本質などいらないのかもしれない。TVに流れているコマーシャルはまさにその代表格のようだ。本質のない人生にならないように、時短から自分を解放しましょう!

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