旧・音気楽ブログ

ペットボトル文化

今や、飲み物は殆どがペットボトル!スマホと同じくほとんどの人々がこのボトルをお持ちになっっている。今年の夏も相変わらずの猛暑続きで水分の補給は不可欠だった。
誰も彼もペットボトルをぶら下げて、あるいは鞄に突っ込んで、引き出すや否や小まめに小まめになりふり構わずラッパ飲み。妙齢のお嬢様方も場所を選ばずすまし顔でお飲みになってる。この「すまし顔」もおおきな特徴。アーそうか―、にこにこしてたら飲めんもんなー。はたしてそんなに小まめに補給しなければならないのか?ちょこちょこ忙しそうに、あるいはそれがまるで義務でもあるかのように、はたまたかっこいいことのように・・・ペットボトルを持ってないと恥ずかしい?・・・不安になることは確からしい。

飲み物を持ち歩くなんてことは、昔はなかった。あったとすれば、例えば遠足、ハイキング。やむを得ずというか必要最低限の中でのことだった。温暖化で気温が上がり、熱中症なるものが増え、医学的に「小まめの補給」が叫ばれ、このようなことになったようです。運動中は、水をのむなー!と言われていたのはいつ頃のことだったか?渇きをいやしてくれる一杯の水のうまかったこと!ありがたかった。感動があった。それが、今や感じる前に補給しましょ!転ばぬ前の杖・・・とは違うような気がする。

まっ、こまめな水分補給は結構なこととして、とにかくペットボトルはやはり便利なんでしょうなー。軽い・ポイとすてられる・冷やす、あたためる、凍らす・リサイクルできる等、需要は増えていくばかり。が、便利で手軽さゆえ「飲む」という行為が軽んじられていくような気がします。わざわざ器に移し替えて飲まなくってもいいんですね、最近の人達。食卓にあるいは職場に、会議室に、応接室に、給食にとあらゆるところに当たり前のようにペットボトルが並んでいる。「勝手に飲んで下さい」って言われてるような気がする。「お茶をそうぞ」ではなくて、「はい、ご自由に」ってな感じ。「人の手間」という工程が省かれていく。余ったら持って帰れるからいいかー・・・

私、調律にいろいろなお宅へお邪魔致します。以前は、調律が終わるとおしぼりが出てきて、奥さんが「コーヒーと紅茶、どちらになさいます?」なんて聞いてくれた。最近終わってもお茶出てこない。帰り際、玄関で「お茶も出しませんで」とか言ってペットボトルくれるんです。嬉しいような虚しいような・・・なんかどんどん便宜的に事が済まされていくような・・・「便利」が優先されて「便宜」にならないように気を付けたいものです。