旧・音気楽ブログ

何が何でも

常識とか普通とか当たり前とか・・・を無視。品性、感性などをすべて否定、破壊。そんなところから生み出される事が、「受ける」。斬新!と注目される。

メガ・ドン・・・とかいうスーパーストアー?に初めて足を踏み込みました。大げさな・・・。それくらい入るのに抵抗があった。息子を盾にして恐る恐る突入。先ず即、感じたことは、妙な圧迫感。立ちはだかる「壁」。品物の壁、壁、壁。とんでもない迷路に入り込んだよう。先が見えない不安。息子は構わず前進。迷路を右へ左へ自由自在。そのうち姿が見えなくなる。壁が邪魔して、発見できない。不安が募る。やむを得ず迷路を進む。とんでもない方向から息子出現。ほっとする間もなく再び行方不明。ジャングルの中をやみくもに進まざるを得ない、という感じがずーっと続く。眼前に次から次へと商品が現れては消えていく。なんか、立ち止まってはいけないような感覚。方向感覚もなくなり、同じところを何回か通り過ぎる。積み上げられた壁のような商品に見下ろされるような恐怖。おそらく、「ないものはない」のだと思う。少し視界が開けた先には、なんと生鮮食品売り場の出現。新しい展開なのだそうだ。やはり、ないものはない!のだ。

20分あまり店内をさまよって、結局なにも買わずに脱出。購入意欲が全く働かなかった。物を吟味して購入する楽しみ、ワクワク感が全くない、なかった。

私がそおいう年齢だから?おじさんだから?確かに、若い世代の人たちは、全く抵抗感なく平然と買い物をしていた。カゴの中をなにげ?に拝見すると、靴下・パンツ・食器・おもちゃ・衛生用品・牛乳・パン・玉ねぎ・肉・コロッケなどが混然一体となって入っておりました。

デパートが衰退の一途をたどっている・・・らしいのですが、開店前に行われている、陰の努力・心遣いが評価されなくなってしまった。お客様もてなす」という感性が評価されなくなったのだ。とにかく「安」けりゃいいのだ。

先人たちが積み上げてきた品性・感性を一瞬のうちに踏みつぶし、その上にどぎつい感情をむき出しにする。そんな社会現象に人類の未来はあるのでしょうか。

音楽の在り方もどんどん変わっていきます。変わることがいけないのではなく、「今までの・・・」を尊重しながら新しい発見をしていくことが正しいのだと思います。世のすべてがそおあってほしいものです。なんでもあり!ではありません。