旧・音気楽ブログ

タッチ・・・

私の文章、やたら「・・・」が多いなーと思います。私にとって、唖然とすることが多いからだと思います。あーそうそう、この「思います」という表現、実は嫌いです。そのくせ結構使っちゃったりしてますけど。つまり、なんとなく「ごまかす」のに便利なんですよね 。はい、いいえではなくなんか、たぶんとか恐らくとかあるいは、自分の意見じゃない「そうなんじゃないんですか―」ってな感じ。非常に無責任で曖昧で日本人にぴったり。意見を求められると、ほとんどの方が・・・だと思います、思いますけど・・・と答える。逃げるのに便利この上ない。

それちゃいました。で、「タッチ」なんですけど、最近何でもかんでもタッチ。プッシュじゃない。プッシュはない。パネル操作は全てタッチ。スマホはもとより、ドアーのスウィッチも電気のスウィッチもタッチ。プッシュで半生を送ってきた私にはこの「タッチ」が何とも心もとない。不満で不安。更に以前の「タッチ」に対するイメージと今の現実に起こっている「タッチ」とには、なんか違和感がある。バトンタッチとかピアノの鍵盤のタッチとかあるいは異性に触れることとかが、私のタッチに対するイメージであって、そこには確固たる実感があったはずだ。ところが現実で言われているタッチとは、実感のない空気みたいなもので、ほんのちょっと「ふれる」だけの事である。touchではなくむしろsympathizeと表現したくなるような感じ。

実感や実態がなくなっていくことは、あらゆるシチュエイションで起こっていることで、食べ物なんかもどんどん「実態」からかけ離れていく傾向がある。はやりの言葉をお借りすれば、全てが「仮想空間」の中で・・・となるのである。「やらず」にやった気になる。「行かず」に行った気になる。キモチが満足できればいいのである。それははっきり言って「達成感」とはほど遠い事である。

音もなく走る電気自動車とか、炎や煙の出ない調理器とか、挙句の果てに触れ合うことないSEXとかですか・・・。

実感を伴わない世界が急速に広がってきている。これでいいのか?故、赤塚不二夫さんに聞いてみたい。現実を見て、彼もよもや「これでいいのだ!」とは言わないだろう。お腹減ったから何か食べに行こう。明らかに実態のある物を!